世界は称賛に値する

日記を書きます

初春の夜の送別会

▼▼数年前とは送別会を終えたあとに思えてくる諸々が変わっている気がした。門出を祝して別れを惜しむ空間の向こう側に見ているものが変わった雰囲気がある。幸せに寄ったのか?と問うと答えには迷うかなー。でもまあ幸せが減少した気はしていない。流石に不幸側には寄せてない。変質した状況は想定できている。複雑になったのは確実だろう。複雑化によって変質した、という言葉が似合う状況なのかもしれない。
▼▼勤務は朝からで、来週土曜日あたりに観察される予定が立っていたりするので、想定して備えた。沢山動いたし動いてもらったかと思う。わりと協働した。じぶんについても職場の人達につ▼▼数年前とは送別会を終えたあとに思えてくる諸々が変わっている気がした。門出を祝して別れを惜しむ空間の向こう側に見ているものが変わった雰囲気がある。幸せに寄ったのか?と問うと答えには迷うかなー。でもまあ幸せが減少した気はしていない。不幸側には寄せてない。変質の経路はまあ想定できている。複雑になったのは確実だろう。複雑化によって変質した、という言葉が似合う状況なのかもしれない。
▼▼勤務は朝からで、来週土曜日あたりに観察される予定が立っていたりするので、想定して備えた。沢山動いたし動いてもらったかと思う。わりと協働した。じぶんについても職場の人達についても、最近見ていなかった姿だったので、新鮮で、よかった。
▼▼勤務後、送別会へ向かう。
▼▼数年前よりは送別会が明確に好きになったんじゃないかなと思った。前提においてのおおきな変動点はここだろう。好意の増量よりは明瞭化が似合う感じである。増したというよりは、はっきり見通せるようになった。見通しがよくなって、混乱が減った。明瞭に好きになった、のだ。数年前は混乱してた記憶がある。好きとか嫌いとかを晴れやかには決められなかった、と記憶している。断定的発言もしてたかもしれないが、実際には留保があった。繊細に迷っていた。▼▼繊細、って言葉が浮かんじゃったなー、と思った。
▼▼実際、以前は慎重に深く難しく思考しているからこそ迷っていて、最近はあまり繊細に考えなくなったおかげであまり迷わなくなった、っていう雰囲気はあるのだった。雑になったし鈍化した。慣れちゃった、と言えるだろう。送別会経験の蓄積によって、慣れてしまって──倦んでしまって、特別視できなくなってしまった、って可能性は見える。
▼▼けど、場数を踏んで理解が深まったから、って可能性もあるか……。はっきりとありうる。あまり短絡的かつ浅慮で結論づけないほうがよいのだろうなー。
▼▼以前より明瞭で明白に見えるようになってきたのは、数をこなして慣れきった惰性と普通の目線で見るようになってきたから、って可能性も、経験を踏まえてきたことで理解が深まった目線で見るようになったから、って可能性も、あるんだし、うまく区分できそうになく、混ざっている可能性すらありそうなので、変に勘繰った判断を向けちゃわないほうがよいだろうな、と考えてみた。杞憂も勘違いも起こしやすそうだ。
▼▼繊細じゃなくなった理由は理解が深まったからだ、は、かなり好きな事態だな。
▼▼送別会は楽しかった。複数名を見送る送別会は比較的ひさしぶりだった。▼▼以前の職場であり、言うなれば間接的な別れであって、哀しみは薄めだったとは言える。別離だけ見るなら、以前すでに別れている。別れたのに現状再会してるのだから、ここでまた送別したところで、会えるならまた会えるだろう、って希望を抱いてしまいつつの、送別の言葉と心持ちであった。哀しみづらめだった。▼▼けどまあ、別れにおける実際的な切れ目って、思いのほかこういった空気や空間の中に沢山眠っていて、思っているより簡単に会えなくなったりする──会おうと思えなくなったりする。ので、再会の混在した別れは哀しみづらくて、むしろ嫌だ、なんて書くことは、まあできるか。
▼▼終電間際で帰宅した。全員に会えなくて残念だった。改めて再会できるならば嬉しく思う。楽観はしちゃってる。夜空も夜風も見なかったあたりが楽観の証かなと思った。