世界は称賛に値する

日記を書きます

GTD

 脳内にあることを全部出そうみたいな文章を書きたい日々なのだけど、これって絶対にGTDの影響を受けている。受けているなあって唐突に思ってから、ちょっと考えて、ああ絶対そうだよなあ、と反芻した。納得した。
 GTDっていうのはタイムマネジメント的な、あるいはTODO管理的な奴で、えーと、とりあえず、簡単に説明すると、ちゃんと長い時間を取って、全部書き出して、やりたいことやるべきことやれることを全部書き出してみて、で、GTD独自ルールに従って振り分けて、やることをやり、また整理して、って感じで、しかもうまいことそれを持続させていくと、やることがすごくいい感じに管理できますよ! という技術である。本とか出ている。ネットで調べてもよい。
 GTD大好きだ! いや、ちゃんと遂行できたことないのだが……、しかしあの理念はとてもすごいと思っている。いろいろ行動管理とか時間管理とか予定管理とか、やってきて、本も読んできたが、GTDのあの振り分けルールは、かなりよくできている。職業や普段の行動理念によって巧く適合できない場合もありうるんだろうけど、いろいろ紐解いていくと、試行錯誤を繰り返すと、最後はあのあたりに落ち着いてくるように思える今日この頃で、あー、このへんきたなー、GTDの近所だなあこのへん、って思ったことが沢山ある。なので、自分でいろいろ考えていったらGTDっぽくなってきたよ、っていうところに来てから、GTDの理念を改めて活用し始めたりすると、かなりよい感じでGTDを活かせるんじゃないかと思う。
 というのはつまり、最初っからGTDやっても駄目だよ、って話にもなるのであり、そういう話を言いたいのかというと迷うけど、やっぱりそういうことが言いたいのかな。知識としては知っておくべき、みたいな。後々活きてくるぜみたいな。でも、結局のところ自分もまだ完璧にはGTD理念とつきあえてないので、説得力とかはない。ないだろうけど、おおきく間違っている気もあんまりしない。GTDルールが言うように、五分でやれることはすぐやっちゃう以上の善作はなさそうだし、カレンダー管理するものはカレンダーに書いちゃうのがかなりよい、とか、自分では思うし、かなりの人が思うようになりそうにも思えるのだ。
 GTDわからない人にはよくわからないことを書いた。わざとだ、って書こうとして、わざとではないよなあ、と思って、でも、わかる人にしかわかんないよ、ってことが想像できていなかったわけじゃないんだから、やっぱりわざとなのかなあ、という感じで、わざと概念のよくわからなさで思考が止まった。人間に意図とかは難しいなあ。悪意とか悪意のあるなしとか、適当すぎる。適当に決めてよすぎる。
 GTDに関しては、ネットで調べるといろんな人がいろいろやってて楽しい。結構やりづらいのでやりやすくしようという工夫も沢山見られる。GTD+Rとか、ZTDとかある。やりやすくしようとして、ここがネックなんだよねえ、と人が思っていることを、基準にして、物事を見る、のは、とても楽しい。ので、GTDまわりの話もかなり好きだ。
 GTDを意識するようになったのは忙しくなったからだ。実際、忙しいなーと思っている。社会人になって忙しくなったけど、社会人になったから忙しくなったのかどうかは明言できない。というか、違うんじゃないかなあと思っているので明言を避けてしまう。むしろ学生時代は単にサボっていただけだろう。いや、違うかなあ。よくわからない。とにかく、締め切りとかいろいろあって、忘れそうになるし、やりたいこといっぱいあるのにやれることだっていっぱいあるのに、時間がなくてやれないので、そのあたりが違う。
 あ、そうだなー。そのあたりが以前とは違うんだな。社会人になってやるようになったのは、工夫して解決しようとすること、であり、解決できる者だって自己判断が出てきたから、それに釣られて、問題点がいっぱい湧いて出てきた。見えるようになってきた。
 学生時代は「解決しよう」みたいなのはほとんどなかったものなー。ただ、別に責任感が増したとかではないと思う。学生時代でも「解決せよ!」っていうものが与えられてたらやってただろうと思うからだ。解決できそうなものが沢山見えてきたのは、立場が変わったからっていうよりは、視野が拡がったからかなあ。まあ間違いないところかなー。だって全然違うもんなー。自分がやってよい範囲と、自分がやらないと何も動かない範囲と、が、以前と今では全然違っている。全然違う認識を持つようになっている。