世界は称賛に値する

日記を書きます

グッド・ウィル・ハンティング

グッド・ウィル・ハンティング パーフェクトコレクション [DVD]

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▼▼好きな映画だと断言できる。頻繁に映画を見る習慣がないことを──だから推薦がなければ見過ごしてしまったであろうことを、あっさり後悔できさえすると思う。壮絶な数学の才覚を持つ若者と、聡明で勇敢な女性と、悪友と言えそうな友人達と、妻を亡くした心理学者と、天才と出逢ってしまった数学教授の話、って言えるかなあと思う。脳裡に浮かべる順序によって結構印象が変わるんじゃないかな。誰を見るかで話が変わる──物語が違って見えて、違う物語が見えてくる。魅力があるってことだ。
▼▼賢いってことの一つに、認識できる──気づける、ってことがあるとは思ってて、と同時に──あるいは、認識できるかどうかがすべてではないかな? って思える瞬間すらあって、逆に、単に情報収集や概念化の技術や技量が巧みってだけで──おかげで「複雑な状況」を受容しやすい人格になっているってだけで──だから結果的に「賢明」な姿に見えてるってだけで、賢さとは違う? なんて思えることだって時にはあって──何にしても、賢さについて考えることが多いので、特に引っ掛かったのはこのあたりの趣味嗜好かな、って考えていた。賢さを認識し直す情報として楽しめる、って言える。
▼▼賢さが人を傷つける瞬間の物語かなって考えてみた。非凡な理解を有している主人公ではあった。頭脳は図抜けていた。けれど、賢い、という言葉では断言しがたいところも同時にあって、何故「断言しがたい」と感じてしまうのだろう? なんて少し考えてしまう。考えてしまうような、好奇心が動き始める物語だった、って考えていた。
▼▼複雑な世界を理解できることが、直接簡単に誰かを幸せにできるわけではなくて、だからって自分をあっさり幸せにできるわけでもなくて、ほかにも必要なものが間違いなくあるわけで、なのでどうしましょう、って思えるような物語だった、とも思っている。賢しさや認識量や理解の深さで優越や万能や崇高に浸って誇っている人に何が言えるか、とか言ってもよい。賢さを美しくするには、って言ってもいいかな。