世界は称賛に値する

日記を書きます

シンプルでエレガントな一打、を礼賛する裏に、ラクチンそう、的な甘えがあったので

▼▼世界に対して、シンプルでエレガントな手間のかからない核心的な一打、で戦うことばかり考えていた頃がある。賢さがここにある、とか思っていたのだろう。なんて過去風味で描いてみたけれど、実際のところ、このあたりの判断系の余韻は今でも強い。というか、判断時の焦点の初期設定は現段階でもここに合ってしまっていると思う。思うけど思うたびに丁寧に駄目出ししてくれる人格を養っただけだ、なんて言える。
▼▼地味であっても泥臭くて地に足の付いた堅実な漸近こそが、勝負をゆっくりとしかし着実に決してゆくのだ、っていうことの具体性、重要性、可能性を、経験から知って、学習して、世界観を改築せねばマズそうだ、なんて思い始めたのだった。逆転一打ばかり探してる今のじぶんじゃ辿り着けない境地がありそう、と想像し始めたのだった。
▼▼核心を衝く一打だけで華麗に逆転する芽があるにせよじぶんの知性では思い至れない場面が多々ありそうだ、っていうじぶんの知性に対する過信の排除と、核心を衝く一打を探してうろうろしてる間にさっさと動き始めて目標に近づいてったほうが早く終わることが多かった、っていう効率面における経験則と、一打逆転策と堅実地道策の使いどころを判別できるようになることこそが、むしろ、賢さと言えるのでは? なんて思えるようになったこと、あたりのもろもろが影響して立ち位置を変え始めた、って言えるかな。
▼▼賢さを礼賛し、華麗な一打を求めていた、なんて言える心理の背後で、じぶんが、単に、時間がかかることを面倒臭がって、サボりたがってた、だけだ、ってことに気づいてしまったから、っていうのと、地味で堅実なやりかたのほうが訓練や鍛錬になりやすい面が強い、と知ったから、っていうのもあるなあ。
▼▼地味で地道も時には必須であり、エレガントとか言っちゃって甘えてんなー自己欺瞞してんなー、と注意できるようになった、ってだけで、実践的にはぜんぜん甘いけども。