世界は称賛に値する

日記を書きます

数学に感動する頭をつくる(栗田哲也)

数学に感動する頭をつくる

数学に感動する頭をつくる

  • 作者: 栗田哲也
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2004/06/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 2人 クリック: 51回
  • この商品を含むブログ (21件) を見る

P.189

問題:白石180個と黒石181個のあわせて361個の碁石が横一列に並んでいる。碁石がどのように並んでいても、次の条件を満たす黒の碁石が少なくとも一つあることを示せ。「その黒の碁石とそれより右にある碁石をすべて除くと、残りは白石と黒石が同数になる。ただし、碁石が一つも残らない場合も同数とみなす」

「超難問」ではないとはいえ、中学一年生のクラスだったから苦労するだろうなと私は考えていた。
 そのうちに一人が、わかったような気がするといって黒板に出て説明を始めた。わかっていそうな気もしたが、説明は不十分だったので私は却下した。
 すると、しばらくして一人が「おれも挑戦してみたい」といって黒板で説明したがったので私は許可した。彼の説明を聞いていただこう。
「左から黒と白の石を見ていって、黒の数と白の数の競争をするんですよ」と彼はいった。(彼は図も書いたのだが割愛する)
「もしも最初が黒石だとすると、全部取り除いちゃえばいいわけだから、白石が最初の場合だけ考えればいいですよね」
 ふんふん、その通りだという印に私は同意を求めた彼にうなずいて先を続けさせた。
「するとはじめは白石のほうが一個勝ってますよね。ところが……」
 ここで彼は少し間を置いた。
「一番最後まで並べると、(途中がどのようになっていようとも)必ず黒石が一個勝ちますよね」
 彼が座席を見回すと彼の仲間はみな真剣に聞いていた。
「すると、どこかで黒石の数は白石の数に追いついて、追い越したところがあるはずですよね」
 みなうなずいた。
「そこで追い越した瞬間を考えます」
 みんな漠然と追い越した瞬間というものを考えた。
「そのとき、黒は白を一つ追い抜きます。つまり、」と彼は考えるような口調でいった。
「その黒から右を取り除いちゃえば、残った黒と白の数は同じはずです」
 このとき他のできる子たちの反応はどうだったか。
 実は、「追い越した瞬間」といったとき、できるやつらはみな一様に夢見るような顔つきになった。つまり彼らはみな考えるもの特有のあのぼーっとした顔になったのである。そして、次の瞬間に何人かが「あっ、そうか!」とつぶやいた。
 彼らはそこからは仲間の説明など聞いちゃいなかった。


 ここに教訓があると私は思う。
 彼は数式を使ってものを考えたりはしなかった。むしろ彼がこの問題を解くために使ったのは「黒石と白石の競争」という比喩だった(運動会の玉入れかな?)。
 はじめに白石が勝っていて、最後に黒石が勝つのならば、途中で追い抜かされた瞬間があったはずだというきわめて当たり前のことを、彼は数学に使った。これは数学用語で言えば中間値の定理なのだが、そんな数学用語は関係なかった。
 この問題を解いてみたあなたの感想はどうだろうか。あなたは「黒石と白石の競争」あるいは、あなた独自の比喩を使って、この問題をすっと理解しただろうか。むしろあなたは、頭の中に黒石や白石のごちゃごちゃ並んだ様子を思い浮かべたりしだだけで、何を考えたらよいか手がかりがないまま思考停止していたのではないかな?
 解ける人と解けない人の違いは何か。
 それは、一つには自分の経験(もちろん数学的経験も含む)に引きつけて、ある未知の問題を自分の世界に位置づけようとする力が旺盛であるかどうかなのである。「黒石と白石の競争」という表現は、彼がこの問題を自分が得意な縄張りに引き込んで考えようとしたことを示している。
 たとえ話や比喩で物事を理解しようとする姿勢は、こうした位置づけ能力が発達した人すべてに見られる独特な感覚である。
 ところで、彼の説明がピンとこなかったらしい(できる)子どももクラスには何人かいた。彼らには「黒が白を一つ追い越すこと」と「その黒から右を取り除けば残った黒と白の数は等しくなる」という二つのことを頭の中でつなげることができなかったのである(もちろん彼らも図を書いたりして丁寧に説明すれば時間はかかるが理解はできる)。
 こうした頭の中で二つの事柄を思い浮かべたりつなげたりする能力がないと、面白いこともなかなかすっとはわからない。面白さを感じる前につらさのほうが先に立つ。面白いことに鈍感になってしまっては、数学は単なる面倒な数遊びになってしまうだろう。こうした子どもにはイメージを頭の中に思い浮かべる訓練からするしかないのである。


 私は教師として長いあいだできる子どもたちを見ているうちに、数学ができる子どもたちに共通した、「数学の世界を作り、未知の問題はそうした自分の世界にひきつけて考え、そのためにはたとえ話や比喩に敏感である」という性向や、「頭の中に複数のイメージを思い浮かべ、自由に操ったりつなげたりすることができる能力」こそ、数学の能力として一番基礎的なものではないかと考えるに至った。