▼▼ぼんやりしている脳裡のふわふわな言葉をゆっくり丁寧に書きつけていく感じの行為はやはり楽しいなあ、って考える。言葉で焼きつけて、言葉に焼きつけて、言葉を焼きつけて、いくのは、いつだっていつも通り胸が躍る。▼▼普通である。けど、至極普通のことだって改めて書いておきたくなることはある。誰かが言っているのと自分で言うのでは違う、って言う話にも繋げられるかなー。で、違うってことにしておいてよいかなって思う。些細な差異を活かす道のりこそ重要である。とか? 言うだけ言ってみるのはまあ楽しい。▼▼と同時に、些細な違いなんてはね除けるような覚悟こそ重要なのである、という話も湧いて出てくるので、まあ頑張ろう、って思う。頑張りましょうよって思う。同時進行と協調と共鳴と臨機応変あたりの比喩で。些細を見つめ大局も眺めて精進しよう。
▼▼起床時刻は午前8時半。勤務開始は午後2時。▼▼昨夜は油断してたら寝ていて、記憶は非常に曖昧だけど、おそらく『虐殺器官』を読みながら、あっさり寝落ちしていたんじゃないかと思う。読みながら寝落ちすると本を折りがちなので、無事で嬉しかった。綺麗保存希望型の精神はかなりある。諦観点も把握できてきているので巧いこと折り合ってもいると思う。▼▼というわけで『虐殺器官』を読んでいる。サイエンスフィクションの薫りが濃厚だ。思い出した。いわゆるサイエンスフィクションってこういう匂いしてるよなあ、いつも、っていうのを思い出した。好きな匂いがこれである、って思った。簡単で粗雑な言葉だと、まあ「別理論が背景にある別世界』とか、言えるのかなあ? 世界を理詰めで語ることが、普段から滅茶苦茶好きではあるわけで、理詰めで語ると別の形になる世界、なんてものが、胸の躍るものであるのは、当然と言えば当然なのだよな。
昨日読ませていただいたものです。備忘録とおすすめを兼ねた自分向けニュース風です。
→ 「最初、宮崎駿がぼんやりと地球儀に落書きしていたり、新作の準備をすすめるのが嫌でマンガを描いていたりしている時からずっと密着していることが、このドキュメンタリーの画期的なところなのだ」