世界は称賛に値する

日記を書きます

文章の理想の形

 書き手が文章を書く。読み手が文章を読む。書き手と読み手の二人でその文章について語り合う。文章に対して『筆者が書き記した内容』と『読者が読み取った内容』をすり合わせていく。で、筆者が違和を感じることなく『わかってもらえた』と思える。というような姿が、執筆、というもののの理想型なのではないか、と考えてみた。さらに、その姿が見られる比率が高ければ高いほど『さらなる理想型』に近づいていくんだろうな、とも考えていた。ふと気がついたときには、そんなようなことを考えていた。文章というものに対してかねてから強い興味を抱いていたからだろう。理想の姿を想像しつつそこへ至る道を探してみる、という思考法を好んでいる影響も出てるなあ、と感じたりもした。