世界は称賛に値する

日記を書きます

日々の学び中でインストールできてきたものの話

▼▼一昨日昨日の日記で書いた「子供の頃は持てていなかった世界モデル/世界を見る際の構図」って話、読むのも書くのも図抜けて好きなのだけど──マジ一等好きだったりしてるんだけど、実際に書くにあたっては「今となっては認識回路の中で完全に馴染んでしまってて──融合しちゃってて、認識してなかった頃のことなんて、もう、うまく思い出せないよー」的に、改めて書き記してみるにしても、いまいち綺麗に思い出せない領域があり過ぎる、し、思い出すきっかけになってくれそうな資料や話を探そうとして検索かけてみるにしても、検索ワードとして適合しそうな言葉が不明瞭過ぎるし、ほんと話題として取り扱いづらすぎる……、なんて思って、難航してる。
▼▼人様の「子供の頃の話」を読んでいく、のが、よい? かな? ▼▼次善策考えてた。
▼▼というか、経験に沿って認識に組み入れていったもの、の話が好きなんだろうなー。
▼▼想定読者──誰に向けて君はこの日記を書いてるのか? っていう自問に対して、小学校卒業から中高生くらいにかけてのじぶんに対して、って答えが比較的よく浮かんだりしてる、し、実際に書き残したい言葉に関しても、若輩だった頃のじぶんが読んで「新たな見かた」をインストールできそうな話、って雰囲気で切り口を探したりしてるので、まあ、加齢による変化──変質、踏まえようとしてるところがあるかな、とは思う。
▼▼結果として「日々の経験と学習によって獲得できてきた新しい物の見かた」のことを改めて書き記してる──書き残したがっているところが、わりと強くある、かな。
▼▼こうしてここまで生きてきて見知って学んだ新しい物の見かたの話、を、改めて記述してみると、最初に知った時の驚きと気持ちよさを思い出せて、ばっちり楽しめる、ってのも明らかにあるけど……。明らかに楽しんでるけど……。▼▼まああとは、じぶんの変質を実感できて気持ちよくなれてる、っていうのもありそう……。