世界は称賛に値する

日記を書きます

性格と人格(区別しきれてない言葉シリーズ)

▼▼性格と人格、って言葉の使い分けかたには、時々迷う、のだけど、人様の文章を読ませて貰ってて「文章から読み取れる──解釈できる──判る、ような気がする、もの」をじぶんは「人格」って概念の近似で認識してるなー、ってふと自覚した。言葉の向こうに見えるものを「性格」と呼ぶとしっくりこない、なんて「性格/人格」を整理してる。
▼▼継続的に文章を読ませてもらってる場合だと特にそう思いがちかも……。▼▼しかしこの話、読み取れてもまあ勘違いや幻想ではあるんだろうな、って雰囲気強すぎる。
▼▼相手の人格を理解した、って言葉だと、相手の人となり──前提から過程まで──気持ちや考えに関する構成要素ぜんぶ、を、掌握してますよー、って状況を見ちゃってる気はする。相手全体を脳内でシミュレートできてるような? 
▼▼相手の性格を理解した、って言葉にすると、相手の反応、リアクション、あたりは現状シミュレートできてますよー、掌握できてますよー、っていう雰囲気が出ちゃう、かなあ? 違うかなあ? ▼▼このあたり納得できなくなる状況設定簡単に思いつけそう。
▼▼性格と人格、の話をすると──脳内で話題にするたびに、人格の場合は道徳観念や倫理観が絡む気がしない? 善悪に関する判断軸まで含めた奴が人格じゃない? って囁きが聞こえてくるんだけど、この軸の立てかた、若干ズレる気がするんだよなー。
▼▼人格って言葉は、字面により「人間としての格」って見做せる気もしていて──だから「人間としての格」ってものを考えようとすることもあって、人間の格? ってふうに頭を動かそうとすると、となると倫理的側面をないがしろにはできないよなー、なんてふうに思えてきてしまう、ことの、余波を受けてるだけな気はするのだった。