世界は称賛に値する

日記を書きます

推敲と短歌

▼▼短歌熱が最近また高まっていて、今回の熱意は人様の影響を受けてのものじゃ(あんまり)ないから、よりよい?雰囲気は、まあある。
▼▼ちょっと前に、人様の影響を受けて短歌に興味を持って、いろいろと試行錯誤を行なう場面があったのだけど、その後少し熱が冷めてしまって、でもって最近になって、ほかの領域の問題にことでうんうん唸っていたら、あ、これって、あの時期に感得できていた短歌感覚とけっこう同類なんじゃないか? 関連してるんじゃない? っていう気づきを得て、短歌のことを改めて考え直してみることで――補助線にしてみることで、いくらか理解が深まりそうだ、って思って、楽しくなっている状況なのだった。
▼▼文章を書くにあたって行なうべき推敲や添削に対する繊細なよしあし、と、短歌の時に学習できた真剣な言葉選びの頭の使いかたが、繋がった、と言える。
▼▼いや、まあ、改めて、これとこれって似てますよねー、なんてふうに歓声を上げるほどのものではないのだけど、というか、同じ俎上に乗せて見比べたら、ほぼほぼ同じ話なの明らかじゃん……、ってなって当然っぽい話ではあるのだけど、でもまあ、脳内では別の部屋扱いになっていたので、改めて、部屋同士を繋げてみたら――共同研究させてみたら、いろいろと行き来させられる認識があったのだった。見える景色が変質した。
▼▼数日前に推敲に関する指南書を買った影響だ。読みながら、あ、この内容なら、以前に短歌で遊んでいた時の感覚を参照してみるとよさそうだ、って気がつけた。

文章添削の教科書

文章添削の教科書

▼▼こうして挙げてみた指南書だけど、素敵な内容だと賛美してよいかは、まだ、かなり迷いがあるので、おすすめ、という形状の話をしたがってはいない。なんか、じぶんの感覚と妙に合う気がするぞ……? という些細な共感と、だからこれ役に立つかも、という楽観が、(今はまだ)強いのだ。世間での不評も見かけたりして、しかもその不評には納得できるところもかなりあったりしたので、うーん、いやでも、なんとなく、合うんだよねえ……、という不明瞭さもあるのである。
▼▼あくまで「個人的な感覚の話」を「検証された正しい理論」のように書いちゃってるから信用できない、というようなものが、巷で見かけた不評の一つ(そして、いくらか説得力を感じるツッコミ)だったんだけど、その「個人的な感覚」に対して「いやでも、言ってること自体は、認識や結論は、じぶんの感覚と合うんだよな……」という雰囲気が強くて、位置づけとかおすすめ具合に、迷う、ような感覚かなあ。こういった指南を行なう時に「あくまで個人的な感覚ですけども……」と、いちいち注釈を置いててもしょうがないじゃん(間延びして読みづらくなるし毎回は書かないよ)(だから省略されてるのは前提にしてよ)、という雰囲気になるのも、判るところ、あるしなあ。