世界は称賛に値する

日記を書きます

2026年03月09日(月)おのおのが、自分の経験ですきまを埋めて、評する

ぼくの埋め方、相手の埋め方

ひとさまがものごとを「評価」するときの、その瞳の裏側にひそませている、そのひと独自の記憶や技術の(影響の)強さを、ようやく認知できた気がする。誰もが、思った以上に、自分の経験で空白や余白を埋めながら、独自路線で(好き勝手に)評価している。みんなぜんぜん違うことをしている。

ここまで受け手や読み手の"経験頼り"なんだったら、そりゃ、人様と自分の見解がまったく交わらないこともあるよな、ってなった。ときには同列で比べること自体おかしな話になってくる。

相手がいくら強く「つまらん」「くだらん」「ありきたりだ」と断言していたとしても、たぶん、そんなにまっすぐ受け容れなくてよい。別に「ひとの意見なんて聞くに値しない(当てにならん)」とか言いたいわけじゃなくて、ただ、相手側から見たらほんとうに心からそうであり、けれど、ぼくにとってはまったくもってそうじゃない場合があって、そういうとき、そこには、ほんとうにどうしようもない断絶があるから、ただただその事実を静かに受け止めるしかないんだろう、といったことを、ようやくちょっと理解したのであった。