世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年06月11日(火)前向きには締めない

足を止めているかを観る

大言壮語というかお題目というかおためごかしというか。「それっぽい」ことなら、いくらでも言える(昨日の日記にも書いたような内容だが)。スラスラと書きやすい文字を置いて、文字を置いていくことの気持ちよさに(独りよがり的な視座で)溺れていると、ここでいう「それっぽい」率が、高まる印象はある。耽溺によって視野が狭まり、「それっぽい」だけがあふれてしまう。だからって、ゆっくり書いていれば抑制できるわけでもないんだけど。

「わかったつもりにならないように」という、大言壮語・お題目・おためごかしを、昨日の日記では書いたわけだけど、「わかっている」のと「わかったつもりになっている」の区別なんて、実際はほとんどつかない。ついたことないじゃん、とは思った。理解度・精緻度といった指標で見比べるのはたぶん無理だろう。できるのは、足を止めているかどうか、を見極めるくらいかなと思う。まだ「途中」かどうか。諦めていないか。前を見ているかどうかだ。

こういった「前向きな締め」「よい話っぽい終わり」もまた、足を止めさせる効果があると感じていて、それも(そうなっていそうなのも)怖い話なのだけど。