細かいミス
細かいミスが最後の最後に発覚して、少々、気に病んだ。厳密に言えば、そのミスが細かいものだったせい、というよりは、「今回はしっかり精査したから、ミスのない状態で提出できているはず、と判断した内容だったものに、結局、ミスが見つかった」せいで、引っかかったのだと思う。そういったシチュエーションだったからこそ、余計に落ちこまされる羽目になった。なんにせよ、自己評価が下がっているときにこういうのを喰らうのはしんどい。自己否定感がより濃くなる。ねっとりこびりついて洗浄しづらいというか。消化はしづらくなるし、揮発もさせづらくなる。しかも、細かいミスとはいっても、ほどほど重要なエリアに影響がおよぶところも絡んではいて、気にせず軽んじるわけにもいかないやつだった。申し訳なさは募った。それもまた、落ちこみを加速させたと思う。
細かいミスによって、どれくらい自己否定というか、後悔や反省をすればよいのかは、とはいえ、ずっと謎だ。いわゆる「細かいミス」を、人類がどれくらいするものかがわかっていないため、ぼくのミス率が高いのか低いのかも、正直わからない。結果として(なぜか悲観して)落ちこむほうに舵を切りがちなんだとは思う。ほかの人より少なければよくて、ほかの人より多ければダメ、って判断基準を持ってよいのかも、ま、あやしいのだけど。
ちゃんとするまでなにもするな
後ろめたく考えているうちに、細かいミスをしているうちは(つまり、"ちゃんとしていない"うちは)、大仰なことを考えたらアカン!基本的なことが誤りなくできるようになるまでは(不安なので)規模の大きなことはやらせない!ちまちまやっていろ!みたいに判断するひとの姿も思い浮かんできて、それってつまり、「計算ミスしているうちは世界平和や人類愛を願ってはイカン!」って言ってるわけ?と、流石に疑問を覚えてきた。ちょっとそれはない、という結論には至った。「細かいミスをしないようにするまで、なにもやらせない」なんていう判断が、まかり通っていたら、たぶん世界は終わる。賢人や偉人に値するようなひとびとがそんなことで足を止めていたとも思えない。