世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年01月06日(土)平日が二日だった

区切り意識

年明け直後の今週は営業日が木曜・金曜の2日間だけだった。楽ちんだ。が、「一週間」という枠組みで物事をとらえようとしているのが意味不明じゃんと言われたら意味不明だとも思う。勘違い、幻想、錯覚、といった言葉も押し当てたくなる。習慣づいてしまって自明と化している「暫定的な枠組み」に文句を言うのはだいぶ好きだ。人間生来の精神構造や認識構造にすら"喧嘩を売ってみたい"欲がある。そしてそれが、ときに功を奏することもなくはない。ときどきかもしれないが、気が楽になることもある。幸せになることもある。こういった、根拠薄弱な世界観こそが(一週間がほんとうにそこにあるかのように見えている眼差しこそが)不安や苦痛の源泉なのかもしれないと思ったりもする。目の前の週末がたとえば楽園に見える。しかしその分、週明けは暗澹たるありさまにも見える。この落差が精神を疲弊させてしまうのだ、というような。

眼前の、今後10分の流れを想像したときに、たとえ嫌なことがもしほぼ間違いなく1分間待っていそうに見えたとしても、残り9分間が幸せなことはあるだろう。残り9分間は素敵なことばかり待っていると身勝手に妄想することは可能だろう(たった9分間なら輝かしい瞬間ばかり並んでいる情景だって想像しやすいんじゃなかろうか)。こういった「10分だけが世界」「10分だけが人生」というような認識の枠組みによって、「わたしにとって、この世の9割は満ち満ちている」と思えるような世界観の採用によって、高揚感が得られたらよいよね、って思う。こんなふうに世界観を自在にコントロールしたい気持ちはやっぱりある。7日間で区切れるなら10分間でも区切れるでしょうよ、っていちおう思う。少なくとも考える。昔ほどできると信じきれなくはなったが、できないと断ずるほどじゃないことも、まあ、わかってはきているし。ちょくちょく試しにやってみたらいいんじゃない?って感じだ。