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日記を書きます

2023年12月19日(火)一般論が聞きたいわけじゃない

一般論

文章を書こうとしたときに、典型的な答えにすぐ飛びつきたくなる気持ちは、まあわからないでもない。ありがちな一般論に寄りかかってしまえば楽ちんなのも理解はできる。しかしそのぶん、多用すると頭を使っていない気配ただよう言説にはなってしまうんだろう。変に「形式」にはめ込む形になりすぎて、齟齬というか矛盾というか、変なところで整合していない部分が目立つこともあるんだと思う。

頭を使っていない気配のただよう紋切り型の文章を書いたり読んだりしたときに、嫌な気分になることは、たぶん増えた。あくまで文章を読むときには、「あなた独自の感性や思考が知りたい」というスタンスで臨んでいるため、手垢のついた一般論を並べられても困るというか、心に響かない。

一般論や紋切り型の言葉によって「実感」がごまかされていると感じてしまうことがあるんだよな~。ごまかしまでいくとぼく側の勘違いの可能性もあるものの、気になるときは気になる。引っかかるときは引っかかる。ほかのところはそこまで気にしないため、けっこう嫌いな要素なんだとも思う。

ぼくとしては、たとえば「友情や善意はよいもの」「人を傷つけるのは悪」「生には価値がある」「贅沢はよくない」「効率はよい」「まじめな人はこれをしない」「目玉焼きにはこれをかける」「このスラングを使う人間はこういうやつだ」みたいなありがちな判断群を、あらためてしっかり検証してから使いたいのであった。詳細な証明までおこなう時間も技術もないにせよ、せめて軽い見直しくらいはしてから使いたい。