世界は称賛に値する

日記を書きます

7/24(月) 時間の集約を意識する

近況をひとことで

ひとことでまとめると最近はこんなふうだ、今週はこんな印象だった、今日はこんな感じだった、と、一定期間の"風潮"を自分なりの形容で切り取ってみせた一文をときどき見かける。憧れる。普段じぶんが書こうと思わない(意識の向かない)タイプの文章だからだ。だからこそ読んだときに、それが素敵だと、とりあえず真似はしてみたくなる。同種のテクニックを会得することは可能なんだろうかとは考えたりする。例えば飲食物の取り扱いがうまい文章にも憧れるし、あらすじの書きかたがうまい文章にも憧れる。個人のルールや家族のルールを楽しげに描いている文章にも憧れたりする。嫌いなものや興味のないものをしっかり割り切って示している文章にも憧れるかな。細かい記録が丁寧に描かれた文章にも憧れるところがある。いろんな文章スキルが欲しいとは考えてしまう。言葉をいろいろな調理法で扱えると、それだけ美味しいものが食べられる、とか思っているんだろう。

X

「Twitter」が「X」に変わった。ほんとうに変わるんだと流石にびっくりした。話題性は高いし宣伝効果くらいはあるんだろう。これまでのネームバリューを棄てるデメリットとの兼ね合いは不明である。せっかく馴染んだ場所だったのに、という嘆きも数多く見かけた。ぼくとしてはそこまでの嘆きや哀しみはない。Twitterに対する想いは複雑だ。Twitterがなかった頃のインターネットのほうが好きだったと思っているせいだが、インターネットがTwitterのせいで変わってしまったと判断してよいかはわからない。ただ背中を押したところはあったんじゃないかと思っている。

「X」もなんだかんだそれなりの位置づけで継続するんだろうか。ここまで好き勝手に暴れられて、振り回されていても、結局どこかに落ち着きそうな気はする。移転先として名を挙げられがちなMastodonやBlueskyは最近ちょこちょこ眺めている。静かでありながら楽しそうなタイムラインは確かに最初の頃のTwitterを思い出させてくれる。楽しく読んでいる。書いたりはあんまりしていない。あいかわらずSNSのペースに適応できないなとは思った。