世界は称賛に値する

日記を書きます

20230825 休息の話

金曜日

平日の歩行は一万歩が日常化した。仕事の行き帰りでおおむねそれくらいになる。運動不足もほどほどには解消できている。歩行は健康にかなり貢献してくれる印象だ。寝不足の正反対と言える。勤務の側面でも安定していた一日ではあった。ゆったり過ごせた。強いていうなら新型コロナウイルス感染者発生の報告があったくらいだろうか。ただ新型コロナウイルスに関しては規制緩和後も嫌な話をいくつか見かけている。緊急事態と思っていてもよい気もする。「強いていうなら」レベルで認識していてよいのかと思う。第9波が来るのではという話も見かけたし。世間の空気が基準になってしまっているのは怖い。だがラクだ。ラクも導入はしたい。難しい。予兆といえば台風9号と10号の動きも気になる状態だ。関東圏への直撃はいまのところなさそうと予報はされている。

仕事の流れがゆったりしていると不安もにじんできてしまう。順調すぎると逆になにか忘れていそうで怖くなる。「問題がないと感じていること」と「ヒマ」と「余裕」と「油断」と「ミスの予兆」あたりをワンセットにしてしまってはいるんだろう。たしかにそのあたりの境界線が曖昧だったケースは過去たくさんあった。「問題がないと感じてしまっていたこと」や「ヒマだった」ことが、ミスの原因に見えたことも多かった。きっとその余韻だ。でも、それらをまっすぐ繋げた考えかたって、あんまりよくないものだよな、とも思う。

ミスが発覚したときに、「問題がないと感じていた」「ヒマだった」「余裕があった」「油断していた」などをそのミスの直接的な"原因"だと捉えてしまう思考モード。逆に見るなら、忙しかったら、余裕がなかったら、ミスしてもしょうがなかったね、って思えてしまうモードでもあるだろう。こういった様式を普段から駆動させていると、そのうちに、効果や効率を考えずとりあえず忙しくしていればいいじゃん、ってところに行き着いてしまうんじゃないかと思う(というか行き着いていることがあると思う)。同じルートを経て、休息なども軽んじてしまい始めるに違いない(休まなければ、遡及的に、忙しかったってことになるので)。なんにせよ人類的にあるいは人生的にあんまりよい流れにはならないだろ、って思える。短期的に"よさげに見える空気"を醸造してみせているだけだ。