世界は称賛に値する

日記を書きます

火曜日の始まり

▼▼溜め息をこぼすような感覚で笑みをこぼせることがあって、好きな心の動きだ、って通過するたびに思えている。▼▼で、言葉も文章も停止した。発想が停滞した。執筆活動は難しいものだなと改めて思う。▼▼単純かつ端的なこの文章では読み手に誤解を与えてしまうかなあ──だから言葉を尽くそうぜ?──微調整を繰り返すことで相手に伝えたいものが届くよう舗装していこうよ──なんていう指針があると、言葉は結構続く。必要な言葉が見えるからだ。現時点では見えなくなっている、って言える……ような。
▼▼起床時刻は午前9時。勤務は休み。昨日の会議の話は伝えないと駄目なので動こう。
▼▼書けない時は見えてないのだなー、と認識してみた。現象を「言葉」によって定めようとしていない、って言うかな……。現状の現象を眺めながら、言葉という沢山の道具を使って、問題意識を巧く「掘り出して」──「削り出して」──「当て嵌めて」いかないと駄目、なのに、ほえー、と突っ立ってしまっている、って印象だった。

昨日出逢えて読ませていただきました。忘れたくないので記憶のための記録ニュース。

→ 「言葉は意識しないで使うとかならず現状維持にむかって流れ落ちる」

→ 「あまりにも凄いものを読むと、わたしは「喜び」と同時に「怒り」を覚える。なぜなら、それを読まなかったら、同じジャンルの作品をいくらでも楽しめたはずなのに、傑作はその可能性を潰してしまうからだ。しかし例えようもないほど面白いので、その怒りも行き場を失ってしまう。本書はいわゆるマフィア物というものを、終わらせたのかもしれないと思う」

→ 「立派な人間になりたいと思った。傷つき方が足りないのだと思った。人のために本当に苦しめるなら、その時は苦しいと書いても良いのだと思った」

→ 「パターンは体験しなくても使える」ことを入り口にして「パターンによって体験が身近になる」ことで前に進み「体験によってパターンをもっと使いこなせる」ようになるというプロセスを思いえがきます。そんな考え方は、僕みたいにセンスのなさにおびえる人間を救ってくれます」

→ 「笑いの感性は成長していき、果ては分岐していきます。いい大人になれば、それぞれ笑いのツボは違う。お太りになって歌舞伎や狂言を一回ずつだけ見に行ったことがあるぐらいのあなたみたいな女なら、マクドナルドあるあるを赤いきつね使って伝統芸能で言えば笑うだろうと踏んだのです。笑いのツボは知識や経験によって作られるんですから」

→ 「「ロボットの研究をする」というと、一般的には人の役に立つソレが連想されるんじゃないかと思うんですが、石黒教授のテーマは一貫して「人間とは何か?」なんですね。というかどんな分野であっても、突き詰めると「人間とは何か?」になる。それは学問に限りません」