▼▼溜め息をこぼすような感覚で笑みをこぼせることがあって、好きな心の動きだ、って通過するたびに思えている。▼▼で、言葉も文章も停止した。発想が停滞した。執筆活動は難しいものだなと改めて思う。▼▼単純かつ端的なこの文章では読み手に誤解を与えてしまうかなあ──だから言葉を尽くそうぜ?──微調整を繰り返すことで相手に伝えたいものが届くよう舗装していこうよ──なんていう指針があると、言葉は結構続く。必要な言葉が見えるからだ。現時点では見えなくなっている、って言える……ような。
▼▼起床時刻は午前9時。勤務は休み。昨日の会議の話は伝えないと駄目なので動こう。
▼▼書けない時は見えてないのだなー、と認識してみた。現象を「言葉」によって定めようとしていない、って言うかな……。現状の現象を眺めながら、言葉という沢山の道具を使って、問題意識を巧く「掘り出して」──「削り出して」──「当て嵌めて」いかないと駄目、なのに、ほえー、と突っ立ってしまっている、って印象だった。
昨日出逢えて読ませていただきました。忘れたくないので記憶のための記録ニュース。
→ 「言葉は意識しないで使うとかならず現状維持にむかって流れ落ちる」
→ 「立派な人間になりたいと思った。傷つき方が足りないのだと思った。人のために本当に苦しめるなら、その時は苦しいと書いても良いのだと思った」