世界は称賛に値する

日記を書きます

迎合を揺るがした4/18火

実況プレイ動画

実況プレイ動画を観るのは好きだけど、そこまで品行方正な来歴を持っていないという認識もあって(権利的に曖昧な時代もそこそこ長かったので)、"すこしだけ恥ずかしいもの"くらいのイメージをいまも持ってしまっているとは思う。ほのかに後ろめたい。なんとなく推しにくい。やや下に見ているし甘く見ているし侮っているし蔑んでいるし舐めているし軽んじている感がある。おとといの日記で触れたときもそういう書きづらさが多少あった。

スタート地点は尊重

が、こういう視点をあんまり"主"にはしておきたくないな~、とは思う。ときどき思うくらいはよいけれど含有率や発生率は低めにしておきたいというか。よくてオプションというか。あくまでサブというか。別の側面としてはそういった理解も持っていてもよいくらいというか。まあ、どちらかといえば、「この世のすべてのものは等価だ」「どんなものにでも価値がある」「この世に価値がないものなんてない」などなどで見做したりするのが好きなほうではあるしな~。そういった形や姿で世界を見たい欲がある。そして、そういうふうに見做せる眼差しを"主"にしておきたいという気持ちがある。認識のスタート地点を"尊重"的な空気の中に置いておきたい、と言ってもよい。

迎合

というところまで書いてみて気づいたのだけど、実況プレイ動画に感じる後ろめたさって、「歴史的に誇れないところがあるから」といった"明確な理解"を理由にしたものじゃなくて、「みんながよくないものだと言っている雰囲気があるから」「なんとなく莫迦にされている空気があるから」といった"漠然とした迎合"から来ていたりするっぽい気はする。「人目を気にして、意味もわからず話を合わせ、一緒になって見下しているやつ」である。こういった視点がベーシックなレンズじゃないほうがよいよね、という話は、むしろ、ここに対してのものだった。そこまでいったらサブとしてもオプションとしても持ってなくてよいのでは、なんてふうにも思えるけれど、あまりよくないと見做されるだけの妥当な理由がある場合も当然あるはずなので、そういった可能性を検討できるくらいの視点はあわせもっていてもよい。

フラットに見る

なんとなく聞きかじっただけの曖昧で偏った情報と、そこからの雑な"気分"で、ほんのり嫌ってしまっている、ぼんやり軽侮してしまっている、みたいなものは、やっぱり、極力はなくしたい。フラットに世界を見ることの向こうに平和がありそうだ、といった思想があって、たぶんそのあたりから来ている希望だ。そして、こういう曖昧さや偏りって、言語化する過程でかなり明瞭に浮き彫りになってきたりするので、書くことによって改善しやすくなったりもする。まあ、まったく自覚がない場合は、謎の混乱を引き起こしたりしてくれたりもして、逆に、変な迷路に迷いこむ羽目にもなりがちだけど。いずれにせよ、そんなこんなで、まず言葉にするのがよいと思っているところはあるかな〜。恥ずかしいことを書くのもなかなか恥ずかしいけれど、それでも書いてみるのはよさげである。