世界は称賛に値する

日記を書きます

1月21日バニシング

ぱっと見で意味が取れない

デカルトが提唱した方法的懐疑という概念があるのだけど、この言葉の接頭に付いている「方法的」ってなに?って思った。固定観念と既成概念って言葉が似た感じで存在しているけどどういった対比だっけ?って思った。

インターネットで検索してみたら、調べてみました!とか言っているブログが多数引っかかったが、正直、解説を読んでみてもいまいち要領を得なかった。通り一遍のことを言っているだけでぜんぜん整理されてないじゃんと思った。経験から言えば、どこかの個人ブログあたりで、詳しいひとが、さらっと、こういう意味合いだから~、と書いてくれていそうなのだけど、最近はなかなかそういう領域にも辿り着けない。

複雑でややこしいものの調べがつかない

複雑でややこしい概念が絡んでくると、最近のインターネットはほんとうにあっさりと不便になるんだよなー。取り扱いが面倒くさくなる。ぐぬぬと思った。あと、デカルトの方法的懐疑に「方法的」って付いているのは、あくまで最終地点に到達するための「方法」として「懐疑」を使おう、というスタンスゆえのものだったようである(ゴールにつくまではとりあえず懐疑を頼りに進んでいこうという意識)。固定観念と既成概念の違いは観念と概念をしっかり区別できていないと把握が難しい雰囲気だった。観念は個人におけるものだけど、概念はどちらかというと集合的なもの、というあたりを起点に考えておくとよさそうだった。

方法的と方法論と方法論的の区別もまだいまいち。