世界は称賛に値する

日記を書きます

図と絵の混じったノート

▼▼複雑な概念を「絵」で描いてみせると有効なのでは? と試験勉強過程で思った。最近は図解と理解の類似と類比と類推について、頻繁に考えていて、記述や記録に図や絵を加えてみようかなと企んでいる。改めて試行錯誤している。ので、考えていたのだった。
▼▼問題点を「図示」してみて、各要素ごとの関係性を見やすくすることで、全体像を把握しやすくしてみたり、問題設定や問題点を操作しやすくしてみたりするのも、堅実に有効な匂いがしている、のだけど、要素としての概念それぞれが最初からかなり複雑で、複雑すぎて、巧く捉え切れていないことも多いので、記録や記述に「絵や図」を取り入れることを考えてみるなら、概念に対してもそれが要るかなー、って思って、考えてみて、概念単体に何かするなら図よりは絵だよなあ、なんて思ったのだった。
▼▼最近の「財務・会計」で言うならば、概念の一つ「生産性分析」を例えば「絵」化してみる、とかがそうかな。違うかな。微妙だ。絵と図の違いがすでに曖昧だ。
▼▼図と絵ということの区別が現時点では曖昧だなー。図を描くって聞くと「対象のものはどこにあるのか」を説明していることになる気がして、絵を描くって聞くと「対象のものはなんなのか」を説明していることになる気はする。位置の説明と内実の説明。外側での結びつきの説明、と、内側にある機構の説明。巧い説明ではない気がするなー。犯罪行為を絵で描く、犯罪行為を図で描く、ってことの違い? ライトノベルを絵で説明するのとライトノベルを図で説明するのの違い? なんて比喩で考えてはいる。
▼▼人の絵、と、人の図、を、描いてみて、って言われたら、違うものを描く、かな?
▼▼図は「説明」的な匂いが混じるな。説明という要素を加えた絵が図、かな? けど説明っていうのは関係性でしか語れないから──語れないような可能性もありそうだから仮説的にそう考えてみるなら、削ぎ落とされてしまうものがあって、だから削ぎ落としちゃ駄目だぜとか思って、図ではない絵にしてみることにより、再度、概念を捉え直してみようと思っている、みたいなことかなあ? 巧く落とし込んだだけかもなあ。
▼▼定義は曖昧にせよ、複雑な概念を絵で理解してみる、って要素が、現時点での学習において結構有効そうなのは、確かだ。なので、進めてみる。いろいろ試してみよう。