世界は称賛に値する

日記を書きます

美を駆りたがる12月8日木曜日

整理中

うまく整理できないぞと混乱している中、そのときの脳内のウロウロを描いた日記って、あとから読み返すとマジでなに言ってんだかわからんってなることがけっこうある。昨日の日記とかだいぶあやしい感じだ。ただ、混乱を整理しようとしているときの言葉繰りって妙に楽しい。快楽物質がかなり出ているくらいの勢いがある。だから、止めようという発想が出ることもなく進めてしまうことが多いし、冷静になる前に公開までたどりついてしまうこともある。あとそもそも、冷静になって見直すことを運用フローに組み込んでしまうと、「公開」までぜんぜんたどりつけなくなるという問題もあるしなあ……。深夜に書き上げたラブレターのが見せるボルテージみたいなものが時に重要だったりはする。恥を捨てて飛び込む習慣というか、恥ずかしさを麻痺させる技術というか。このあたり、上手に扱えるのは悪くない(ケースバイケースでは当然あります)。

いろんなところの美しさ

従うルール自体が美しいのと、ルールに従った姿が美しいのは、異なる。「生き方が美しい」と「生き様が美しい」の違いは、ここの違いと同じかな〜って思った。「人格が美しい」と「性格が美しい」の違いも同じだったりしそう? 生き方と生き様、人格と性格、といったものが見せる関係性はときどきとても気になる。このあたりをちゃんとしたいと思ったときに、どこをどう「よく」すればいいのだろう、みたいなことが気になり始めるせいだ(非常にややこしくしてしまうが、「ルールに従った姿が美しい」のと、「ルールに従う姿が美しい」のも、さらに別な気がしてきた。状態と動作、の違いか)