世界は称賛に値する

日記を書きます

熱を寄せたがる12月7日水曜日

界隈での常識

ある界隈の中では知名度が高い、というようなものを知るのは楽しい。そういう文化圏ごとの差異を眺めるのも好きである。例えばここ数年だとボードゲームにがっつりハマって、ボドゲ愛好家界隈での情報収集を楽しんだりもしていたのだけど、ボドゲ界隈だと「Podcast」の存在感が意外に強くて、Podcastってこんなふうに活用されるものなんだとびっくりしたことがあった。のちになって、ほかの空間でもPodcastの熱を多数見かけるようになっていったので、ボードゲーム界隈ってそのあたり一足早かったのかな、という認識も持っている。むろん、ぼくがそのへんの熱が伝播範囲を見誤っていただけな可能性はあるけれど。

共通の認識、共通の知識

ボードゲーム界隈でPodcastが主流になっている状況との比較で、例えば、ある配信者界隈で「自分の名前をもじった決まり文句」を挨拶にしていたり、2ちゃんねる界隈で「ぬるぽ」「ガッ」というお約束をやっていたりするのは、別物なんじゃないかと思った。ひとくちに「知名度が高い」と言っても「共通認識」と「共通知識」は別なのではないかという疑問だ。ある界隈において、みんななんとなくこう思っている、と、みんななんとなくこれを知っている、の違い(まなざしと情報の違い)かな。あるいは、こういうものがあると思っている、と、こういうふうにするものだと思っている、の違い(環境についての情報と行動についての情報の違い)。または、そういう文脈に”乗っている”のとそういう文脈を”持っている”の違い(背景と道具の違い)とか。切り分けかた難しいな~。それぞれ関連してそう。暮らしと遊びの違いというのも思った。みんながこれを使って暮らしているのと、みんながこれを使って遊んでいるの違いだ。真面目さ・メタさの違い、と言えるかなあ(ジョークはメタ的だとは言うし)。

閉店書店

閉店する書店の話をちょくちょく見かける。そのたびに最後に訪ねておこうかなって思ったりする。そして、そうやって「ひさしぶりに」とか言ってしばらく行っていなかったせいでこういうのは閉店してしまうんだぞと思う。とはいえ、本好きがいくら頑張っても書店の閉店は止められないものだという話も最近見かけた。あくまで「ライトな層がどれくらい足を運んでくれるか」のほうが重要性が高かったという話だ。読書マニアの割合なんてそもそも低かったわけで、そんなマニア勢がいくら頑張ったところで所詮は多勢に無勢であるという話であった。まあ場所にも店にもよるだろうし、希望や願望も混じってしまうので難しいところではあるけれど。ただ、いわゆるライトな層、つまり一般層まで取り込めないと、採算が合わない、という状況の話は、たしかに(書店に限らず)見かける。だからまあありうる話かもねとは思う。マニア、フリーク、オタクばっかりだとやはり規模的な限界が来るっぽい認識だ。

規模縮小の三省堂

今回見かけたのは秋葉原のヨドバシカメラにある有隣堂の閉店の話だった。少し前には、渋谷の丸善ジュンク堂が閉店する話を見かけたし、その前には近所の本屋が閉店した。その前だと神保町の三省堂書店が閉店したのを見かけたかな。ちなみに、同じ文脈の上で書いておいてなんだけど、渋谷の丸善ジュンク堂と、神保町の三省堂書については、建物がなくなることによる閉店であるため、消えてなくなったわけではない。渋谷のほうはまだ移転先を探しているとのことなので、もし移転先が決まらなければやはり消えてしまうかもしれないが、神保町のほうは、すでに移転先で規模を縮小して営業を続けている。思い出の建物がなくなったことは悲しいけれど、完全な消滅でないのは当然うれしい。神保町の三省堂書店(移転先)は、規模を縮小、と言いつつ、小さいビル内全体が書店になっており、下手な書店よりはおおきくて、なかなか味があった。好きな空間だった。