世界は称賛に値する

日記を書きます

諦めながら諦めない

 対象を見る時の角度を変えるのと、対象を見る時の距離を変えるのは、違う。対象の違う面を見るのと、対象を踏まえてそのまわりまで見るのの、違いかな。どっちがいいとかはない。臨機応変に使い分けられるのがいいんだろう。
 何であれ臨機応変に使い分けられるものになりたい、とはよく思っていた。今もよく思う。が、そうなれる、という前提で思うようにはならなくなった。限界があることを前提にし始めたのだ。嬉しいことではない。が、器用には、有効的には、なったと思う。無茶無理無謀な希望を掲げるだけ掲げておいて、失敗するよりはよい、というのは、まあ思うようになったところだ。全然好きな考え方じゃないけど。
 ここはやっぱり難しい。
 諦めながら諦めないみたいなことが可能だよね、って思う。本当に思う。一律の思想なんてないよなあと思う。さっきは達観したようなこと言ったけど全然駄目! やっぱり耐えられません嘘でした! みたいなものが、沢山あっていいと思う。人にやったら信頼を失うケースも考えられるので、信頼が大事な場面ならやらなければいいし、とりあえず言わなければいい。そういう使い分けも含めて、一貫性というのは、なくてもいい。というか、うまく使いこなしていいものだと思う。
 一貫性があるように見せて、ないところもあって、でも、一貫しようとしているような人が好きかなー。すごく乱雑な物言いであることは自覚しているけど(自覚してればいいんかい問題が発生しました)