世界は称賛に値する

日記を書きます

木曜日の始まり

▼▼現在にも過去にも素晴らしい業績の人達が沢山いて──。▼▼対象が「現在」の人であろうと「過去」の人であろうと、出逢ったばかりの頃なら、びくびくおずおず語ってみせる謙虚と臆病があって、丁寧な目線なのに、出逢いが増えて情報が増えて、慣れてくると、あっさり油断して、したり顔で、彼らの思考や功績や挑戦や美意識や芸術を、さも理解者であるかのように、語り始めてしまう、ってことが時折あって、むうう、と後悔することもある。知らないのは不安で、知っているのは時に有利で、だから、結構知っているのだぜ、ってことを、前面に出してしまおうとする、のだろう。支配下にある、って見せかけたい? ▼▼のを、何とかせねば、って最近は本当に考える。間抜けな匂いもするしねえ。わかったような顔的な「過信」が足枷になってしまう印象も強いしなあ。と。