▼▼現在にも過去にも素晴らしい業績の人達が沢山いて──。▼▼対象が「現在」の人であろうと「過去」の人であろうと、出逢ったばかりの頃なら、びくびくおずおず語ってみせる謙虚と臆病があって、丁寧な目線なのに、出逢いが増えて情報が増えて、慣れてくると、あっさり油断して、したり顔で、彼らの思考や功績や挑戦や美意識や芸術を、さも理解者であるかのように、語り始めてしまう、ってことが時折あって、むうう、と後悔することもある。知らないのは不安で、知っているのは時に有利で、だから、結構知っているのだぜ、ってことを、前面に出してしまおうとする、のだろう。支配下にある、って見せかけたい? ▼▼のを、何とかせねば、って最近は本当に考える。間抜けな匂いもするしねえ。わかったような顔的な「過信」が足枷になってしまう印象も強いしなあ。と。
お気に入りです。おすすめしたい感じも含めてニュースサイト的記憶インデックス。
→ 「共通の話題として、カレーライスに議題設定(アジェンダ・セッティング)したまでだ。ぼくは、この話題で、初対面の女子としこたま盛り上がってきた。その成功率は、実に99%だ」
→ 「簡単に和解できるならば敵ではない。決して和解しないためにこそ(戦いではなく)「創造」が必要なのだ」
→ 「なんちゃってSFはみえない(解明しきれていない)現象を魔法として取り扱う事だから、黴菌がみえなかった時代に呪い扱いされてるのと、大差ないんだよね」
→ 「部活モノって部活動の描写で勝負できなくても、一芸に秀でたプロみたいな天才子供を集めて、上手に集団活動をやっていくことについてかたらせればカタチになるからなあ」
→ 「究極的には絵を描くためにしなきゃいけないことはたった一つ.「ヘタなんで.僕絵描けないんで」って言うのを「ドへたくそだけど,描きました」って言い換えるようにすることなんじゃないかと」