世界は称賛に値する

日記を書きます

思考して実践する形

 思考している人が好きだ。真摯かつ謙虚な態度で深遠まで多面的に思考している人が好きだ。理想の女性を挙げようとすればそういう特徴を組み込もうとするに違いない、とすら思うくらいに好きだ、と思う。けれど、どんなに熟慮を重ねていたとしても、その思考を実践に移すことができていなければ、その価値は無価値と言ってしまっていいほどに低いよな、とも思う。つまり、考えているだけでは駄目なのだ。それを実行に移そうとしていなければ駄目なのだ。というか、実践に繋がるような思考を私は『真摯かつ謙虚な態度で深遠まで多面的に思考している』と表現しているのだと思う。単なる熟慮について話すなら、そんなに形容詞を重ねる必要などないからだ。午後2時出勤。だいぶ暑くなってきた。が、これくらいならまだ「心地良い暑さだ」と言える。駅のホームを歩きながら実際にそんなことを考えていた。湿度が低かったおかげもあるだろう。深夜になって友人たちから連絡。これから遊ぼう、という話がまとまる。そしてミヤ氏イネ氏イシ氏の三名と合流。イネ氏からは昨年の傷害事件についての進展状況を聞かされた。途中のコンビニで酒を買い込んでネコ氏宅へ向かう。奢った。思考している人が好きだ、ということについてさらに考える。考えてそれを実践しようと努力している人が好き、と私は考えているわけだけど、では、熟慮して「これを実践しよう」と決めているわけではないのだけど、もとから単純に『行動の選択が美しい人』を、私はどう評価しているのだろうか。考えているだけじゃ駄目、なんて言っているのだから、行動しているだけじゃ駄目、なのだろうか。