世界は称賛に値する

日記を書きます

桜が散って、半端な理解で納得しようとして

▼桜が散りかけだ。またこの時期が来たなあ、なんて考えていた。桜が好きだ、と考えたことはあまりないように思う。桜というものに拘泥したことがあまりない、と言ってもいいかもしれない。が、咲き誇る桜、と、散りゆく桜、の姿は、なぜかいつも少しだけ心に残ってしまう。残ってしまっているのがわかる。たとえ『これが好きだぜ』と意識していなくても、あとになって自分の行動や思考の内容を分析してみると、意外と俺はあれが好きだったんだな、と思えることがある。ということの一例だろう。▼朝永振一郎氏の『鏡の中の物理学』を読み終えた。著者はノーベル物理学賞受賞者だ。素粒子の話が中心に据えられていた。量子力学の話だ。量子力学の話は苦手だ。怖いからだ。わかったような気になってしまえるから、逆に『怖い』のだ。半端な理解は、わかったという満足感を覚えさせてしまう分、無理解よりも性質が悪い、と考えているせいだろう。いやいやこんな簡単なものではないはずだ、こんなんで納得しちゃ駄目だろう、というような躊躇が、安直な理解で納得してしまいそうになっている惰弱な人格を告発してくれて、結果、こんな愚考をかましてしまう人格もやっぱり持っているんだよなあ、と、どうしてもうめいてしまうわけである。ゆえにびびる。自分の愚を自覚するのはやはり怖いよな、と改めて思う。