世界は称賛に値する

日記を書きます

理性的判断と感情的判断と、単なる視野の問題

▼理性と感情の対比構造は実際のところ単なる『視野の広さの問題』に見える。理性的判断と感情的判断という境界が、判断材料の幅の広さ狭さの差だけの問題に見えるのだ。将来のことまで考慮に入れるか、眼前のことだけを問題視するか、と言い換えてもいい。無論、人間の持つ『将来の考慮する機能』だけを『理性』と呼ぶなら、将来のことまで考慮に入れた判断、を『理性的判断』と呼んでもかまうまい。けれどどうなのだろうか。たとえ眼前のことだけを問題にしていても『理性は働いている』んじゃないだろうか。

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森博嗣「四季」愛蔵版BOXセット (講談社文庫)

森博嗣「四季」愛蔵版BOXセット (講談社文庫)

▼通常版よりも早く入手できるぜ、という理由だけを求めて、わざわざ愛蔵版を購入してしまった。購入できる状況に遭遇してしまったから、とも言える。購入しようとは思っていなかった。初代愛蔵版も持っているからだ。単に文庫版が欲しかったのだ。文庫版も買おう、と思うくらいには『四季』が好きで、言い換えれば、滅茶苦茶好きだと言える。

問題を整理しながら話法

▼議論では『大局が見えているように話せる人』に肩入れしてしまう傾向があるな、と感じた。あなたの意見はこうで、わたしの意見はこうで、だから、例えばここは問題なく受け入れられるけど、ここはたぶん受け入れられないし、わたしがここをこうだと判断しているのは、前提としてこれをこういうものだと判断しているからで、あなたがここをこういう風に判断しているのは、こういう理由で、間違いに見える、という『話法』に、魅惑されてしまう。あるいは知性を感じる。同じ主義主張でなくても素敵だと思えてしまう。

笑顔の継続

▼視線を順番に動かしていく。流れるように――引っ掛かるものを探しながら。棚などを眺めるのは得意なほうだと思う。得意とかあるのかな、とも思う。要するに、棚の商品を検索して目的のものを探し出すのが得意なのだ。職業病だと言ってもいいだろう。引っ掛けたいものを脳裏に単純な形で想像しておくこと、を、重視している。きちんと題名がわかっていれば題名を。あるいは装丁がわかっていれば装丁を。いずれにせよ、探すべきものの断片を思い浮かべて、個別に検索していくのではなく、引っ掛かるのを待つ。かなり楽しく思える。のは、無意識を信頼している状況だからだろう。要するに、頼られて喜んでいる、のだ。同時に、信頼できることに快感を覚えているのだとも思う。▼話すのは楽しくて、笑うのは楽しかった。無論、楽しかったから話していたのだし、楽しかったから笑っていた、とも言える。密度は濃くて、たぶん視野は狭まっていた。間違いなく問題はあった。けれど逃れられる気がしない。だけど逃れてみせるぜと決めている。前からだが極めて難関には見える。が、拘るようなものではあるまい、とも思う。所詮はおのれの判断だ。繋げる、ということを意識する。計算高さは無駄だと思えることもあるけれど、排除すべき性質だと判断したことはない。ないはずだ。悪辣の匂いは感じないからだ。腹黒いとは違う。将来を見通そうとする蛮勇と傲慢は好きだ。世界に幸せを呼び寄せる力になりうると思えているからだろう。打算は崩され、苦笑を浮かべ、夜空を見上げる。

大学生の論文執筆法(石原千秋)

大学生の論文執筆法 (ちくま新書)

大学生の論文執筆法 (ちくま新書)

 僕たちの思考は、線を引くことで成り立っている。いや、僕たちの世界は線を引くことで成り立っている。
 線を引いたり、消したりするのは文化の仕事だ。しかし、文化は着ていることさえ忘れてしまった衣服のようなものだから、文化によって引かれた線はふつう意識されていない。空気のように自然なものだと感じられている。また、気づかないうちに線が消されてしまったりもする。そういうことを意識化するのは、知性の仕事だ。
――P.130

▼鋭くて、革命的な思考観だと感じた。学問の普遍がこれなら、学問は楽しすぎる。