とはいえけっこう多めには使っている
漢字が好き、というか、「文字の中にそれだけで意味が含まれている」事態が楽しすぎて、気づけば漢字を並べてしまう癖はある。油断するとすぐに多用する。とはいえ、それによって発生する「読みづらさ」が、最近、ようやく想像できるようにはなった。以前は理解がおよんでいなかった。なんとかなるんじゃないかと甘く見ていた。
漢字の「読める・読めない」は、ひとによって、ほんとうに異なる。読解可能エリアって意外と重ならない。だから、漢字を減らし、ひらがな・カタカナをたくさん使うことで、可読性が高まる。相手と自分、どちらにも通じる言葉の比率が上がって、基本的にはスムーズになる。許容範囲ギリギリまで減らしてみることくらい、試してみてもよいんだと思う。円滑である(抵抗がない)ことの価値の大きさが理解できるようになったと言ってもよい。
そもそも、ひとさまの書いた文章を読む積極的な理由なんて、ないときはまったくないのだから、読んでもらえるよね~、って過信して文章を書くのなんて、下策なんだろう、といった状況にも理解がおよぶようになった次第だ。