数字についての友人の着眼

▼思考がそれを構成する概念の支配下にあるように、与えられた枠組みに人の思考は支配されている。虹が七色に認識できるのは、虹は七色で構成されている、という枠組みがあるからだ。数字に関しても同じことが言える。たとえば数字は、四桁ごとに言い方が変わる。一万、一億、一兆、という形だ。しかしそれは、あくまでも日本文化に固有の形式であって、人間に先天的に与えられたものではない。ほかの文化で育った人格であれば、そこに違う印象を持って数字を見るだろう。だから、そのあたりを、あまり自明のものとして見ないほうが良い。▼また、十、百、千、という言葉と、それ以降の万、億、兆、という言葉は、同質のものではない。これは、友人の着眼だが、新鮮な着眼だった。言われてみれば、子どもの頃は確かに、そのあたりに不思議さを感じていた気もするのだけど、最近はまったく意識しなくなっていた。十個集まるごとに変わる言い方と、一万個集まるごとに変わる言い方。というより、千までは数字だが、万からは数字ではない、と言うべきかもしれない。一万以降、なぜそれまでの十、百、千という流れを再度繰り返そうとしたのか、が、不思議だ。利便性から言えば、無論なんら問題なく、むしろ、賢い形式を採用したな、とも思うのだが、なんでそうなったのか、ということがもしも追求できるのであれば、追求してみたいな、とは思う。千の桁までは何も考えずに作って、一万以上は、このまま一桁ずつ言い方変えてたら大変だ、みたいな心境だったのだろうか。