世界は称賛に値する

日記を書きます

量子飲み会

▼▼飲み会だった。行動記録としては飲み会ばっかり記録するねえ、ということを、前回の飲み会の時に書いた記憶があって、若干書きにくくなった気がするのだけど、やっぱり書く。まあ、飲み会というか「人の集まり」に対する特別感覚や異質感覚がまずあり、特別や異質のほうが書きやすく――書きたいと思いやすく、でもって、人の集まりとしては飲み会が多い、ってことではあるのだ。飲み会とじぶんの感覚はまあまあ相性がよい。もしくは、相性のよい「飲み会」概念との出逢いが多かった。
▼▼ひさしぶりに会って、実際に会って話したことで、相手の状況が、量子力学のシュレディンガーの猫のように、確定する。――という時の、緊張感が、年々、ほんの少しずつ増している――増しているかのように意識してしまう世界観を保持している、っていうのが、飲み会でわりと自覚されたりするなあ。あまりよくないものな気もする。▼▼が、ひさしぶりに会って、楽しそう幸せそうで、よかった、つまり「また会えてよかった」、と思えることと、裏表というか、裏腹というか、紙一重、という気もするけれど……。(ほんとうは、この考えかたも、あんまり好きじゃないんだけども……、っていうのも同時に思えてきたので、少し考えてみる)(相手の幸せそうな姿を見て喜べるのならば、相手の幸せじゃなさそうな姿を見て哀しむ?哀れむ?可能性も同時に「ありえ」て――そういうリスク(?)もあって、そういうリスクを取らないなら、幸せそうであろうとなかろうとどうでもよい、無関心、ということになってしまうだろう――、っていう切り口は、まあまあ妥当だとは思うのだけど、あまり好きじゃない、のだ。なんか避ける手ありそうじゃない? という無茶を思っている)


▼▼結局ボードゲームを推したし、ちょっと推しすぎた気もするし、ともあれ、今度遊ぼうという話にもなって、よい感じではあった。遊ぶ。