世界は称賛に値する

日記を書きます

おなじはこ2

▼▼同じ箱の中に関係なさそうな文章を無理矢理一緒に突っ込むことで、予想外の化学反応というか、奇跡的な有機的結合というか、そういったものが起きて、思っていた以上に綺麗な結晶を見せてくれたりするんじゃないかなー、という、昨日の日記に書いた無謀な期待の話、これってつまり、三題噺(お題三つを組み合わせて一個のお話を作り上げる創作法)から受けたイメージの影響が濃いんだろうな、って思った。三題噺、っていう切り口を初めて聞いた時、強い驚きと楽しさが同時に出てきたのを記憶している。すごいこと考える人いるねえ……! と感動した。この時の衝撃が今も頭の中に残っていて、そういうやりかたが楽しい、という感覚に接続されてるんだと思う。
▼▼小説を書いてたり、TRPGでゲームマスターしてたり、なんかしら「ストーリーを紡いでゆく」って言える行為をしている時に、特に深く考えることなく、無造作、無頓着に出していた要素が、ほんとうにあとあとになって、すごいところに繋がってくる、すごく綺麗に繋がってくる。驚くほど見事な伏線として立ち上がってくる、うわ、もしかしてこのことを無意識におれは予期していたのかもしれないぞ、なんていう無茶苦茶なことさえ思ってしまいたくなるような、瞬間が、時々あったりして、びっくりできる。歓喜みたいなものが湧いたりする。というような経験があったから――こういった経験に味をしめてしまったから、こその、期待、とも言えるかなと思った。
▼▼三題噺を試した時なんかに味わえるのだけど、一見関係がなさそうな二つの要素に関して、この認識とこの認識の隙間に何か「繋ぎ」になってくれるものをはさめないのかなあ、ミッシングリンクになってる概念とかがないかなあ、ってふうに模索してるの――模索してる時の頭の中、非常に気持ちよくて、好きなのだった。けっこう脳みその消耗が激しい印象もあって、長時間は探し続けられない、と思っているところもあるけれど。まあでも、得意ではない?慣れてない?というだけのことかねえ、とも思う。もうちょっと頻繁に、ちょくちょくやってたら、もっと長い時間潜ってられるようになるのかな。とはいえ無論、閃いた時の気持ちよさも非常に痛烈で好き、というのもある。というか、こちらが本題ではないかなこの場合。
▼▼というような書きながら、物理的な構造の「似てる」ばっかり比喩として使われてるとしたらズルイなあ、という発想が出てきたんだけど、ぜんぜん関係なくてビビる。まあ話の流れ的に、うーん、これとこれ、繋げようがあるのかな……、と遊ぶように考えながらおもしろがってたんだけど、思った以上に繋がらなかったので、あーあ、となった。
▼▼このあたりの話、ぜんぜん関係ない二つのものを頭の中に一緒に放り込んでぐつぐつ煮込んでみたら閉じたフタの下で妙なふうにくっついてくれて異様で異質でだからこそ素敵みたいなものが取り出せるかもー、調理できるかもー、というような風情で思考をしてたんだけど、実は(と同時に)、ある発想と同時にもう一つ発想が出てきて、その二つがぜんぜん別個、別種、無関係のものに見える場合というのがあるけれど、関係ないように見えても、よくよく注意してみたら――じっと見つめ続けてみたら、実は、思ってもいなかった――意識できていなかったところで、繋がってる、みたいな心の闇(?)を、無意識に抱えていることが判るのかも、という話――この話を考えてる時になんでこんな関係ないこと思いついちゃったんだろう、という時に、このあいだに実はなんか繋がりがあるのでは? というふうに疑ってみることについての話、として見たがっているところもあるみたいだな、っていうことも思った。
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