世界は称賛に値する

日記を書きます

マイノリティ的雰囲気にまつわる錯覚(混乱中)

▼▼マイノリティの一員に属していると(属しているとおのおのが認識しているような集団内に身を置いていると)、構成員同士の距離が短くなる。短く「見える」? まあ、実際「短い」でよいのかなあ。届きやすさは確かに変わるだろうし……。
▼▼で、短いから――短いおかげで、誰かが何かをやった時に、その影響、その感覚、その味わい、を、ダイレクトに受けたりもする。距離が近いためにあんまり減衰することなく喰らってしまいそうだし、距離が近いからその姿を余計にきちんと見てしまって、喰らう「量」を増やしてしまったりもしそう。
▼▼結果的に、真似してじぶんもやってみよう、と思いやすくなる(身近な人があっさり始めている、やっている、というふうに見えたほうが、気軽さを感じられる)(ということにまつわる感覚についても、記述しておいたほうがよいのではでは……)


▼▼世の中全体で言えば二位三位に属するようなサービスが、あるマイノリティ感のある集団内では、変に人気である、図抜けて利用されている、そこでだけなぜか完全に独占しているかのようになっている、みたいな状況に、時折、出くわす。
▼▼ということを昨日書いてみて、そういうの好きだ、ということも書いたのだけど、そのあたりのことについて、背景としてもやもや思っていた前述したようなことを、書いてなかったな、と思い出したので、追記的に書いた。


▼▼マイノリティ感があると構成員を身近に感じてしまうようなことが増える、ということと、身近な人が何かをやっていると気軽にじぶんもやれるかもと思ってしまう瞬間が増える、ということについて、錯覚があるだろう、と思いつつ、実際の状況として別に錯覚とも言えないことがあるでしょ、とも思ったりするので、そのあたりのことを、なんとなく、整理的に書きたかったのだった。そもそも、ある集団に対して、マイノリティ、と思うことの妥当性、みたいな、錯覚では? って疑いの話も、あったりするしなあ。
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