世界は称賛に値する

日記を書きます

ラクーアの湯

▼▼ラクーアで温泉に浸かってきた。後楽園ゆうえんちが、かつて好きだったのと、馴染めるほどには最近は近づかなくなっていたせいで、あのあたりを後楽園と呼びそうになるのだけど、現状だと東京ドームシティと呼ぶのが適切なのかなと思う。東京ドームシティになってからは初めて行った。
▼▼お湯に一通り浸かったあとはリラックスラウンジに寝っ転がりつつ小説『幻想再帰のアリュージョニスト』読んでいた。小説サイト『小説家になろう』で読める長篇だ。最近読み進めてる。▼▼小説あるいは物語に対して持つ好感の理由として、理屈の通しかたが好き、っていうのがあるかな、と読みながら考えていた。世界設定でも心情描写でもよいのだけど、心地好い理屈が見える、と好き、って思ってそうな傾向に気づいた。はったりのかましかたがうまい、なんて言われる評価軸がつまりここを指してるんだろう。小説を読むのにはiPhoneアプリ『ラノベル』を利用している。iBooksのセピアカラーの配色を真似して色替えした。読みやすくなった。
▼▼秋葉原に移動。ヨドバシ秋葉でiPhone6を物色した。▼▼階を上がって有隣堂を散策した。平積み棚で森岡浩之『突変』の推薦POPを見かける。星界シリーズの続きいい加減読まないと……、と思い出した。▼▼隣に神林長平『ぼくらは都市を愛していた』もPOP付きで置かれてて、これも読みたいなー、電子版出るかなー、と考えていた。
▼▼おおきな風呂に行ってリラックスする、という行動傾向が最近たまにあって、活動記録として書き残そうと判断する場面もまあまああるのだけど、おおきな風呂、に対し、何が書けるだろう、というのもよく思ってしまう。同じような風呂ばっかりで書けることがない……、というより、同じようなものとしか見れていない──ぜんぜん細部を見ようとしていない、じぶんの眼差しの粗さ──軽視っぷり、が意識される。
▼▼って書いてみて思ったのだけど、軽視、という単語が見えてくるだけで、この眼差し駄目駄目ー、って雰囲気を漂わせる習慣が出来てるなあ、とわかった。否定感とセットにし過ぎだろ、と思った。ぼくは軽視してます、って書くだけでもう、改善隊隊員を差し向けねば、という気分が湧いてきてしまう、のだ。即座に敵視する癖がある。▼▼常に「細部を見る眼差し」が正当だったり適切だったりするわけじゃないんだぞ……! と思ったのだった。思考止めて目線粗くしてほわほわ過ごしてることが素敵な場面だってあるだろう。おおきな風呂なんてその最たるものでしょ、って意見があったってよいと思った。
▼▼数々の風呂が同じようなものにしか見えてないです問題、から、話ちょっと逸れてません?

ぼくらは都市を愛していた (朝日文庫)

ぼくらは都市を愛していた (朝日文庫)


幻想再帰のアリュージョニスト
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