世界は称賛に値する

日記を書きます

脳内常駐疑問文

▼▼普段から脳内をぐるぐるしてる常駐みたいな疑問文っていくつかあるけど、こうして文章を書く時に、主題になってくることってあんまりなくて、亜流の疑問文やら派生の疑問文やらが出てくるとか、あるいは屋台骨や裏方になってたりとか、なんかこう、少しだけ違ったところ、若干ズレたところ、黒幕的な関わりかたをしてる問題、が結局は文章化してくることが多いな、って思った。
▼▼文章化したくなってくることが多いな、と思った。
▼▼ごくごく自然に抱えてる疑問文──脳に染みついてる問題意識、と、真っ向から向き合う気には、もうあんまりなれない、というようなことかな? と思いついて、とすると理由としては、馴染みすぎて敵と認識できなくなっちゃってるから?っていうのと、流石に戦いすぎて強敵なのを知っちゃってるから?っていうのを、思ったりした。
▼▼もし強敵なのだとしたら、根本的で根源的なものであるから、かとは思うし、馴染んじゃうのも結局、じぶんの根本や根源に近しいところがあるから、と言えたりもしそう?
▼▼頻繁に──ちょくちょく、立ち塞がってくる、派生疑問文、と格闘しながら、戦っていく中で、問いの全体像や細部を掴んでやり、本体を倒せるチカラを手に入れよう、的な算段が頭の中にあったはずなのだけど、なんかいつの間にか、派生疑問文と戦うことに妙に慣れてしまって──変に落ち着いてしまって──程よいところで戦っていることに安定してしまって──頑張ってる感に満足してもう楽しんじゃってて、言うなれば、根本的で根源的な疑問の相手をしなくなってた、ところがありそう。いわゆる、ラスボスを倒してしまって戦う相手がいなくなったらツマラナイ……! 気持ちよくヒーローやれてるためには敵が必要……! あたりの苦悩や傲慢、的なやつだ。
▼▼説明の流れで「こいつサボってるのでは?」的なノリにしすぎた気はする。ほんとうに「普段から脳内をぐるぐるしてる常駐的で根本的な疑問文」が極めて強敵であり、現段階でもなお「亜流種や派生種と戦いながら、比喩や具体例などの武器になりうるものを集めたりしつつ、脳内にいつもある疑問に立ち向かえるだけの腕と技を磨いている」って情景で頑張っている可能性はぜんぜんある。素直に考えたらこちらのほうが妥当だろう。
▼▼根本的な疑問文って、結局はイデアみたいなものであり、つまりは骨組みか枠組みか機能に焦点が当たってて、現実世界には関連物や具体例しかない、みたいな話では? と最後に思ってしまい、納得いく気もしたけど、散漫になるので君はあとで(書いた)