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日記を書きます

2024年08月28日(水)そもそもの整合性・人間にとっての整合性

話から余分なところを削り、論点がすっきりするよう並び替え、構成を整えていくのは、楽しい。これが「論理(論理的整合性?)」のためのものなのか、「人間の論理演算能力に合わせる」ためのものなのかは、不明だ。が、人間にとってわかりやすい論理性と、コンピュータにとってわかりやすい論理性は、別である、という話も聞くから、おそらく、人間の論理演算能力に適するよう並び替えをしているんだろう。「論理的に書かねばならぬ」とか言っても、あくまで、人間の処理の範疇内なんだよな、とは思わされた。

補助線として、調理・料理のことを考えてみた。「料理という行為そのものの調理的整合性」と、「人間の栄養摂取能力に合わせた調理的整合性」というふうに対比させてみて考えた次第だ。人間に限定しない「調理そのもの」なんてものが、そもそも想定可能なのか、とも思わなくはなかったが、消化、栄養、旬、腐敗、味、煮る焼く蒸す、切る、といった、ある程度、定まった要因はあるのだから、その範囲内で、整合的な動きを探すくらいのことは、やれる気もする。食材として意味をなさなくなる(つまり栄養摂取できなくなる)やりかたは、とりあえず、整合的でない、と言えなくはないだろう。まあ生物や食材の定義によって変わりすぎるところはあると思う。あくまで「哺乳類」くらいに留めておくのが平和なのかな。