世界は称賛に値する

日記を書きます

2024年09月15日(日)なかったことになってほしいわけではない

消えていたはずの記憶

二度と取り戻せない記憶もたくさんあるはずだ。が、消え去るのみであっただろう崖っぷちギリギリの思い出に、思いがけず、手が届くことも、なくはない。すんでのところで救出できるような幸運が、ときにはおとずれてくれる。嬉しい誤算が起こる。なんの気なしに誰かが口にしたフレーズが、たまたま、眠っていた記憶を呼び覚ます刺激になってくれるようなことが、稀にあるのだった。意外なシーンが、突如、脳内に、流れ始めて、ビックリさせられたりする。ふたたび巡り合えたことに感謝もしたくなる。縁を取り戻せた記憶って、ノスタルジックやセンチメンタル的な意味合いも強くて、異様に快かったりもする。

「たしかにそんなことがあった、が、思い出すきっかけもないまま、すっかり忘れてしまいそうだった、しかし、運よく、なんとか思い出せた」、と言えるような、消滅寸前の思い出に、できるだけ手を差し伸べ、彼方に落ちていくのを押しとどめようとする、そんな行動が、まあ好きだ。基本的な姿勢として維持しておきたい気持ちはけっこうあるかな。記憶の線がつなぎなおされた瞬間の気持ちよさったらないし、思い出に浸っているのもやっぱり独特の気持ちよさがある。(適用できるTPOが限られていそうな気もするが)元気ももらえる。といった閉鎖的な快楽の話にはなってしまうだろうとは思いつつ。

ひとさまの(特に同世代のひとの)、意味なくこびりついているだけの「些細な記憶」を引き出すのが好きだ。わりとどうでもよさげな記憶を聞かせてもらって、そんなのあったねえ、って言い合うのは楽しいし、そういった「きっかけ」「記憶への刺激」になってくれることを期待しているところも、たぶんある。