世界は称賛に値する

日記を書きます

7/22(土) 新鮮な外出を意識する

土曜日

週明けの報告会議が気がかりで、少し憂鬱な土曜日ではあった。が、今年に入ってからの週末の中で言えばマシなほうだろう。今年の一月から二月は特に酷かった。濃密な気落ちがあった。ときどきその頃のことを思い出して、あのときよりはよいか~、と考えてしまう。実際ある程度の平穏が続くようにはなった。ただし報告会議は毎回気がかりだ。どうしても心が翳る。どれくらいの業務を遂行していればよしとされるかがわからないせいかなとは思う。指針はあいかわらず曖昧だ。適切な量も質もわからない。単なる気分じゃんと思わされるところもある。この報告であればツッコミを喰らわずにいられるだろうと思えたことがない。そこは不満かな。そういう雑多で不安定な判定を踏み越えていくだけのメンタルとスキルが、価値を持ちうる、というのもわかるけれど。

といった具体的な不満を昨日の飲み会で愚痴れなかったのはちょっと残念だった。丁寧に構造を語りながら愚痴る場ではなかった。そのあたりを詳しく話すのが好きだ。性格や思想の相性によって嫌いなところをこき下ろす愚痴トークも嫌いじゃないけれど、あいつはここができていないし、じぶんはここができてないので、ぜんぜん合わないぜ、と、相互の噛み合わせの悪さを嘆く愚痴トークも好きだ。丁寧に分析しながら愚痴りたいという嗜好だ。構造を愚痴りたいとも言えそうかな。

散歩

暑すぎて迷ったけど散歩くらいはしたいと思って少し外を歩いた。わずかな時間ではあったけど気分転換にはなった。なにもないただの一般道を自動車に気をつけながら歩いただけだったけど、振り返ってみれば記憶の中でのインパクトは少し強めだ。

家の中のことと家の外のことだと外での出来事のほうが書き残したくなるなと思う。強い意志により創造されたであろう"作品"と強い意志があまり介在していなさそうな"日常"なら、"作品"のほうが特別なものに見えて記録したくなる。季節や動植物や星といった大自然もけっこうな吸引力がある。派手、珍しい、変、といったほうに、気持ちはどうしても引きずられる。気になるし、おもしろく思える。けど、そればっかりもどうなんだと考えていた。家の中も、コンテンツとも思われない脆弱な意志の物事も、普通の風景も、描いてみてよい。

見慣れて飽きたようなものであっても、形式的で形骸化した惰性の眼差しを棄て、しっかり見つめ直してみれば、輝きを取り戻すよ、といった話ではない(その解釈はかなり好きな話なのだけど)。薄暗い鈍色のままフォーカス当ててみたって文句言われる筋合いはないじゃん的な話だ。