世界は称賛に値する

日記を書きます

7/19(水) 円滑な整合を意識する

文章をすべすべにする

書き終わった文の横に新たな文を置いた瞬間、文章全体のバランスが変わる。意味の重心はズレてしまうし、単語の継ぎ目も気になり始めるし、音声の調子も狂う。なんとかしようと思って手を入れたくはなるけど(そして入れ続けていたりするけど)切りはない。釣り合いが取れており、手触りも滑らかで、快い流れが実現できているような理想の言葉の並びを、延々と探す羽目になる。なんどもなんども"いま書いた最新の文"までを読み返す。そして直す。新しい文を置くたびにその繰り返しだ。

といった作業に時間をかけていることが多いなと思った。ほかのひとに気づかれるかもあやしい些細な違和を直すことに注力しすぎていることがある。この時間配分でよいのかなとも考える。費用対効果がよくなさそうというか。まあ費用対効果だけを判定基準にし始めると、それはそれで、いろいろ疎かになる印象なので、難しいところではあるのだけど。

ひどく些細な一点に1時間を費やしてしまうなら、ある程度の粗さはあっても1時間で3つ4つこなせることを進めてしまったほうがよい、といった状況はもちろんある。無闇な一点集中よりは多少粗めでも数をこなすことが糧になる瞬間が確かにある。とはいえ、神は細部に宿る、と言える状態だってあるはずなので、見極めは難しい。細部、全体、こだわる、こだわらない、集中、気楽、緻密、粗雑。これらの調整をどうするかはケースバイケースだろう。

とは言うものの、優先順位をつける場面において、目の前の快楽に溺れすぎでしょ、と思うところはやはりあるんだよな~。ヤスリ掛けかカンナ掛けかどう喩えたらよいのかわからないけれど、そんなふうにして文章をすべすべに整えていくのって、正直気持ちよい。快楽がある。その快楽にけっこう溺れていることがあるなと思う。振り返って、変に時間が過ぎてしまっており、反省しがちだ。