世界は称賛に値する

日記を書きます

責任に少しビビらなくなった

▼▼積極的、精力的、活動的な人との接点が少し増えた気のする昨年だった。その余波を受けて、今年は、少し、意識を変えよう、という試みに目が向いている。いっぱい動こうぜ、というようなノリだ。まあ、新年の雰囲気に酔って毎年そんなこと思ってるだろ、という気もするけど、まあよい。違う可能性もあるのでそちらに乗ろう。
▼▼回線越しの人と実際に顔を合わせる、という機会も、最近、少しだけ出てきた。現状だと、ほぼほぼ、よい影響しか受けてない気はしている。楽しい印象しかないかな。まあでも、こういうのはあまり単純化とか早合点とかしないほうがよいのだろう、とは思う。楽しいことばっかり、とかいう楽天もなんかあった時、怖いし。脳天気は崩れた時が駄目そうだ。
▼▼ともあれ、新しく人と顔を合わせる、ということのよさが、最近は、強く印象づいているところは確実にあって、つまりまあ、そのあたりにあるよさに目が向くようになってくれたところがあるので、そのあたりに関して、今後はちょっと、いろいろ動いてみてもよいなあ、という雰囲気にはなっているのだった。なんか偶然、実際に、そういう動きに接することができたことによって、イベントの企画なりなんなりやっている人に対する敬意が精緻化した、そして強く心を動かされるようになった、ということでもあるかなー。
▼▼簡単に言うと、未知のことにあんまりビビりすぎないほうがやっぱりいいっぽいな(そんなビビらなくても誰も怒ったりしないみたいだ)、じぶんから率先して動く積極性みたいなものがないとやっぱり至れないところある(待ってるだけじゃ限界がありそうなのかな)、というのが、より強く、意識されるようになった、腑に落ちるようになった、ってところである。
▼▼責任を負わないように、みたいに振る舞っていたところあるけど、責任負ってもまあいいか、って思えるようになった、ということでもあるかな。責任とるくらい別にやってもよいじゃん、それくらいの負荷を面倒くさがるなよ、と、精神的かつ経験的に開き直れたところと、責任とるっていっても(物にもよるにせよ)たいしたことない、そんな怖れることはない、と思えるようになったところと、変化は二軸(面倒軸と恐怖軸か)ありそうだけど。