世界は称賛に値する

日記を書きます

幕開け新時代3/17金

文章生成AI

文章生成AIの登場と性能が昨今のおおきな話題だ。人間の思考のような形式で「文章を書いている」のではなく、いうなれば「確率的に"次の文章を生成"していっている」という説明は見かけたのだけど、これが適切な比喩なのかは不明である。わかりやすい切り口だとは思うけれど、もう少し精密に理解するよう努めたほうがよさそうな気もする。

新版となるGPT-4が登場し、旧版で見られた問題をかなり解決してきている、とさらに騒がれている。ほんとうにすごいことになってきた気配がただよっている。GPT-3の段階ですでに想像を超える出来栄えだったのに、それをこの短期間で超えてきてしまうんだな~、というのは衝撃だった。ほんとうに今後どういうペースで進んでいってしまうんだろうなとは考えさせられる。思った以上にサクサクと進んでいって気づいたらとんでもないところまで連れていかれそう。それが楽しみ、とも思うし、多少は怖くもある。

「手ずから単語を検討するのは不自然」「いまのような書きかたは旧時代的」、というような空気および文化が、今後、醸成されていくのであれば、それはちょっと嫌かも、とは思ってしまうかな~。文章を書く楽しみは感じているのでそれが消失していく流れは避けたいとか思ってしまうところはある。書くことを趣味とするひとたちが少数派になっていき「いたたまれない」「身の置きどころがない」と強く感じさせられるような時代が来てしまうなら嫌だなあ、といった話ではなくて(もちろんそれもないといいなと思うけど)、書くことに楽しみを見出すようなルートがそもそも消失しそう、ということに対する不安。パラダイムが変わりそうというか。

文章を書くという事柄に対する意識自体が今後大きく変わっていき、パラダイムシフトが訪れかねない状況なんじゃないかと思う。現代における"文章"への意識は完全に消滅し、いまとはまったく異なるものへと刷新される可能性は、大いにある。もちろん、こういうふうに歴史的なうねりに乗せられて消えていった"ものの見かた"なんてこれまでだっていくらでもあったのだろうけど。そして、それを止めようとしてもあまり意味はないのだろうけど。新たな時代に進んでいくことのほうが、総合的なメリットは大きく、至極自然なことなのだから、留めてどうする、という話もわかるはわかる。とはいえ、いままさに楽しんでいるここからの視点で物を言うなら、まあ、少しブレーキをかけてみたくなるというか、多少の軌道修正は試みてみたくなるところはあるのだった。