世界は称賛に値する

日記を書きます

ありうる重層3/16木

可能性の層

“ホラ吹き”や”口先三寸”ってことでもないけれど、軽口やらジョークやらを織り交ぜて、「テキトーなこと言うやん」とツッコまれるような文章をむしろ書きたい気がする、とちょっと思った。しゃれっ気や軽妙さを求めた感じだろう。変に形式的で格式張った情報記事を読むことがあって、つまんな、と思ったことの反動だとは思う。そもそもあれは情報をシンプルにしようと削りすぎて「読みづらい」「下手」と言えるレベルまで文章の質が落ちていた気もするのだけど、まあ区別は微妙だ。

とはいえ最近は、無駄な単語を削ぎ落とす大切さもかなり理解できるようになってきたため、あれくらい攻めるのが重要なのかもな~、とも思わなくはない。冗長よりはマシ、という判断もわかるようにはなった。とか言いつつ最近またすっかり忘れていたけど。

漫才のボケくらいしっかり「思ってるんだか思ってないんだかわからん」を織り交ぜていきたいという気持ちではある。が、そういうのってツッコミがいるから成立するんだという問題もあるからなあ。調整は難しい。放言や空言で惑わせたいとか騙したいとかではまったくないし。

ちなみに、テキトーこいたことを書いて文章をおもしろくする、という切り口において、あんまり自覚ないけど普段から活用しているのが、「~だろう」「~らしい」「~ようだ」「~かもしれない」といった言葉たちになるのかなとは思った。こちらのほうにも道は拓けているようなのでいちおう触れておきますね、といった言葉で空間を拡げていくというか。断言するとウソになるが、推測や伝聞、可能性ならウソにはならない。こういう層までうまく重ねることで文章により厚みが出せる、面白味も出る、という次第だ。