世界は称賛に値する

日記を書きます

推賞する十五日、火曜日

おすすめ

いつだってオススメしたいしオススメされたい。なので、推薦文がとても好きだ。できるだけいっぱい書かれて欲しい。誰にだって書いて欲しい。好きな相手ならなおさらだ(推薦文の推薦文)。ただ、人から薦められるとむしろ楽しみが減じる、って話はときどき聞かされる。自分で見つけだすこと仄暗い歓び(極めてプライベートな空間という意味で)こそが素敵だ、とも聞く。大変わかる。明らかに自分で見つけたときのほうが楽しみが増すし、実感もしているのだけど、それでもたいてい、そのことはすっかり忘れてしまって、オススメしたいしオススメされたい、とは思うのだった。

減じない

人に物事を薦められてもあまり面白さを減衰させないでいられる精神構造を、持っている、または、形成したのだ、とか過信しているところはある。期待か妄想かとも思うけれど、いずれにせよ特に困る場面がないのでなんでもよい。なんかありそうならまた対策を考える。

素直に認める

暴力の快楽とか支配の快楽、逆に、盲従の快楽とか諦念の快楽とかも、普段から認めておいたほうがよい、とは思っている。認めづらい寄りの気持ちも(なんで認めづらい寄りに区分けされるのかなとは思いつつも)折に触れて意識しておくとよさそうな印象がある。暗い気持ち、マイナスの感情、とか、まあなんであれ、心については、あっさりさっくり素直に認めておくのが好きだ。精神を誤魔化すとろくなことにならない経験則があるのだ。だいじょうぶ、って言葉は、好きな言葉のかなり上位に来るし、ぜんぜん余裕ーというほわほわしただいじょうぶさはほんとうに好きなのだけど、嫌な時に嫌だという自覚も持てないままだいじょうぶとか言ってしまっている状況は極めて苦手だ。不快に気づけない習慣性みたいなのが嫌いとも言える。