世界は称賛に値する

日記を書きます

台詞と地の文2

▼▼地の文と台詞、っていう「違い」が「見なせる」だけで、読書中の意識における「受け取りかた」がぜんぜん違ってるかも と思える事態が多かったので整理風味で思考中。
▼▼一頁を覆うような長い「地の文」の内の一文を、台詞表現の括弧でくくってみて、ここは台詞なんです、って認識し始めるよう誘導してみたりすると、なんとなくだけど読みやすくなる。聞き取りやすくなるっていうか、発言者や声音の気配を想像してしまうっていうか、目立ち始める。読解中の意識内でくっきり浮かび始める。
▼▼一頁を覆うほどの長い「ほぼ台詞と同じような一人称による地の文」と、一頁を覆うほどの長い「台詞」を比べると、後者の「台詞」のほうが若干読みやすく感じられる。
▼▼台詞と地の文の読みやすさの違いは何なんだ……、文体が違う、ってだけじゃ説明つかない気がするけども……、って思った時に、前述したような思考実験をよくしてる。括弧の有無だけで認識の背景を変えちゃってるのでは、って思って、試行錯誤してる。
▼▼流石に印象論極まるよなー、とは思った。せめてアンケートを取って欲しいぜ、という要請が浮かぶ危うさだ。あと、不平不満は微塵も混ざってない。
▼▼ほんとうに「台詞を読む時だけ発揮できてる読みやすい読解目線」があるなら、同じ視点を援用して、地の文も読みやすくしちゃえばよい、のでは……? って思いつくことはあるけど、読みやすいに越したことはないような……、って考えてみる隙間は確かに時折あるんだけど、地の文の読んでる時の目線にも独自の性能があるんだろうし、当然、善し悪しもまた別に問いうると思うから、早計は禁物だろうって考えたくは思ってる。
▼▼言葉の向こうに誰の影も見て取りづらい言葉にもよさはあるか、と期待はできる。