世界は称賛に値する

日記を書きます

軽やかな足取りに繋がる文章指針

 文章の書き方を勢い重視に変えてみて、なんていうか、一点集中みたいな、鋭さみたいな、深さみたいな、ものは消えて、というほどではないにせよ弱くなって、けど、軽やかさみたいな、動きの軽快さみたいな、広さみたいな、拡がりやすくおおきくなりやすくなったような、そんな感じにはなった気がする。
 足は踏み込みやすくなった。とりあえず切り込めるようにはなった。準備ができるまで待つ癖は減った。その分、丁寧さは減り、速度は上がったが精度は下がったかと思う。このあたりは改善点というか、うまく調整していくべきところなわけだけど、今までは、一極がなくて、つまり調整するための軸もなかったわけだから、いい感じに能力やスキルが上がりつつある、という判断は持ってよさそうだ。
 足取り軽くなった。いいことだって思える。楽しいことだって思える。
 文書の書き方を変えて、文章の書き方のことばっかり考えている。いつも考えてしまうくらいの違いがあって、驚いているのだ。すごく変わった。思っていた上に違うものがあった。気づいてなかった違いがあった。
 全然関係ないというか飛躍するけど、けどこういう飛躍を「新しく得た能力であり楽しさである」と認識しているから書くけど、運命って概念は、人の人生みたいなものとして考えると、いろいろ思うっていうか、運命論みたいな、人間機械論とか決定論とかに釣られて考えられがちだけど、文章を書くことと運命、とか、それこそ「物語と運命」とか、運命って概念と、その他の、行為的(じゃなくてもいいけど)概念と組み合わせると、違う味わいになるっていうか、運命って言葉が指し示すところが、ちょっと違ってくるように思える。人生、決定論、未来、過去、偶然、幸運、そのあたりを、ひどく巧みな軸足でまとめたような概念になるような気がする。