世界は称賛に値する

日記を書きます

日曜日の始まり

▼▼絶望も苦しみも哀しみも「所詮は言葉や概念に過ぎない」とか言うことはまあ可能である。過ぎないって言い回しはラクでいいねえ。若干の皮肉と、あとは全面称賛でそう思う。過ぎないっていう限定で救われる認識がきっとある。▼▼ので、絶望も苦しみも哀しみも「所詮は」言葉や概念に「過ぎないぜ」って枠組みに落とし込んじゃえー、って時折は思う。無茶振り的に思う。落とし込んでしまえる時も落とし込めない時もあるけど、まあできる時はしてしまえ、って思う。で、指差して嗤ってみせたいねって思う。のだ。
▼▼起床時刻は午前 勤務開始は午前9時。昨夜問題が起きて諸々変更が起こった。平和平穏的に解決するとありがたい。駄目なら駄目で、解決に向けて動いてみせるかー。

昨日読ませてもらって、新しい視点や知識のきっかけと思えた自分ニュース風です。

→ 「朝起きて、トイレに行って、顔を洗って、朝食をとって、歯を磨く。こういった一連の動作をわたし達はほとんど無意識にやってみせる。当然その一連の動作の中で、わたし達は「面白い」などとは思わない。歯磨きおもしれーー!!! とか思わないでしょう。同じ物語を何度も何度も聞かせられたら飽きてしまうのと同じように。だとすれば、面白いと感じるためにはそのスクリプトからの逸脱を目指さなければいけない」

→ 「脳の大きさというのは、その個体が取得して加工する記号情報の取扱量みたいなものにすぎないのではないかとも思えたりする」

→ 「ここしばらくで読んだ本の中でもとびきり面白くて、そこら中の人に勧めまくってるんだけど、この面白さを語弊のないように説明するにはラカンの知識をもっと勉強する必要がある(平易さはどうしても歪みや飛躍を伴う)と思うので、説明できない。もどかしい。ギィィ」

→ 「うん、私もそう思うよ、でもあちこちに出回っている通念や周囲の人の感覚の影響を受けて社会的なものごとによりどころを求めるのはしかたのないことでもあって、何者かでなければつらいという気持ちを、できればちょっと認めてほしいって、そう言われたよ。おとこ族の一人としてそのように願っている、って」

→ 「ほんとうは、皆がユニクロを履くのなら自分が履いても恥ずかしくない、ということなのだ。ユニクロジーンズを部屋の外で履いていいのだ、というふうに、ある時空気が変わったのだ。そして更にひどいことに、元々作業着であるジーンズなんかに高い金を出す奴は馬鹿だ、などと皆で共謀して価値の逆転まで図ろうとする。ルサンチマン剥き出しだ」

→ 「敬語は(使い方が正しいと仮定したときに)わかりやすく主語を省略できるところがスマートだと思う」