世界は称賛に値する

日記を書きます

木曜日の始まり

▼▼歴史の一員として自分を見つめるような視線や思想がまだ結構怖かったりする。微細な一因に過ぎぬことを実感したくないのかな? けど、世界の一員である、ってことに関しては、怖くないから、違うのかもだ。時間軸に対する恐怖心があるのか? なんで?
▼▼起床時刻は午前9時。勤務開始は午後2時。昨夜は送別会混じり飲み会があって、深夜に抜けて帰った。楽しかった。業務は引き続き新人絡みの指導等が多いと思う。

昨日読みました! 備忘録とおすすめを兼ねた自分ニュース的なインデックスです。

→ 「そう思われるのは、そんなにいやではない。ごく率直に言うと、私はだれかにばかだと思われるのが好きだ。ばかでかわいそうで、手を引いてどこかに連れていってあげなくてはいけないと思われることが」

→ 「ちょっとした階段を登ってから無響室に入るわけですが、部屋のドアの部分の方向だけ音の反射がないのが、近づく段階でもうはっきりと判るのです。負の音というか、無音を発するカタマリがそちらにある、ということを体感が告げるのです。これはちょっとない経験です」

→ 「しかし、けれどそんな、人としての属性の剥ぎ取られたような相手を殺したところで、「人を殺す経験ができた」と言えるのだろうか。怪しいものだ。人にはさまざまなしがらみがあり、そのしがらみごとその人を殺すことが、人を殺す経験なのだと思う」

→ 「原因は不明だし、思い当たる節も全くない。ひとつだけ言えることもない。そういう話の展開を期待した方、残念でした」

→ 「死と呼ばれる何かを詩と呼ばれる何かにすりかえる、それが詩作だった。社会の中で象徴的な自己同一性から転落する私を、言葉のない夜の中で支えなければならない。言葉がない場所で言葉を与えること、そしておそらくその言葉はかならず失敗すること、それが詩作だった」