世界は称賛に値する

日記を書きます

金曜日の始まり

▼▼起床時刻は午前7時半。勤務開始は午後2時。新人指導がある。新しいことを最低でも一日一つは教えようと改めて思う。確認や復習も新しいことの範疇である。進行状況という全体図をもって望めよなあ、という反省によるものだ。理想形や全体像というものを最近は意識してなさすぎる。で、見合わぬ結果だけ求めている。のを改善すべくだ。

相変わらず読ませていただいてすごいと感じています。記憶のインデックスとしてです。

→ 「1問題は無限にあり、問題を解決すればビジネスになる。2今ある資源を使って問題解決する独創的な方法は常に存在する。3問題を狭く捉えすぎると解決できない」

→ 「しかし率直にいって、ここ数日、言葉を書くということにかんする絶望感が増しつつある。すべて、言葉というものを奪い去りたい衝動というか。とはいえ、何かを観て、湧いてくるものが言葉であるということもまた事実であって、ようは、それを、しかるべきところに収めきれていない、という感覚が、あるのかもしれない。そして、言葉はすべての物自体にとって、たんなる邪魔者ではないか、という疑いも生じる。だがなんだろうな。自分としては、ただ、嘘をつきたくないということだけだ。」

→ 「いやだからさ、ツイッターには承認欲求と要求が溢れていているけど、それをぬるくお互い補いあってるのはツイッターだけじゃなく一般的なことだし、ただそれが言語かされ、@などで可視化されるから、嫌悪感とか抱くのかもしれないけどさ。別段へんなことじゃないだろう」

→ 「昨日は例え話をしたので触れておくと、例え話を「議論」や「コミュニケーション」として使うのは用途が違うと思っている。例え話の機能というのは「評価」と「方便」で、評価というのは要するにシャッキリポンであって、人間に使うもんではない。で、方便ってのは宗教由来。宗教由来ってのは悪い意味ではなくて、キリストやお釈迦さんは意見違う人をひっくり返したりしてるんだけど、それはキリストやお釈迦さんレベルのつもりでやんないといけないし、政治的になってもいけない、という」

→ 「まあ、何を言いたいかというと、現場で頑張る人、現場を仕切る管理職、組織を率いる経営者と、立場によって知っておくべき枠組みや、価値観・優先順位は違うんだよ、ということ。4象限程度のフレームワークで仕事していいのは、現場や物理を相手にする物づくりの人たちだけ」