世界は称賛に値する

日記を書きます

水曜日の始まり

▼▼因果関係や対称関係で捉えていた概念を、複雑化という関係で捉え直す思考型があるのかなー、新鮮で好きだなー、とは思えるようになっている。見慣れなくて耳慣れなくて以前まであまり聞いたことがなかったので、楽しく思えている。因果的な矢印と、対称性の軸だけが、概念の分布を決める、とか以前は思っていたのだよなー。複雑化前と複雑化後があり、時には対称的に見えることもある、ってことを、知った、って思っている。
▼▼憎しみは愛の複雑な奴かな、って例えば思う。▼▼概念Aが源であっても、具体化や実装の過程において、納得できて安心できる調整、を繰り返していくうちに、時に逆説的な姿さえ取りながら「顕れる」ことがあって、最後は概念Bに見えることだってある。という型が見えるようになった。なんて認識しているのだった。▼▼行動や発言や心理の背後には過程があって、同じ行動や発言や心理でも実際はいろいろだから、丁寧に見ろ、という前提で諸々を見つめられるようになった、ってだけのことかなー、とは思った。

読ませていただいて感謝しています。可能な限り忘れないためのインデックスです。

→ 「その逆の進行として、以前にも書いたようにTVを見ていて「あ、このタレントもうすぐ落ち目になる」という確信を多くの人が同時多発的に抱くという怪現象があったりする」

→ 「00年代以降の作品には、ちゃんと世界の絶望と難しさをわかった上で、もう一度陳腐な物語に回帰するという構造(=物語の復権)をするわけなんだけれども、そういう場合には、善や悪について非常に両義的な態度でわかった上で、目の前の手ごたえに対して素直になるという行動の次元にコミットするという形式になりやすいようなんだよね。そして、徹頭徹尾、この作品のヒーロー達は、そのことを貫いている」

→ 「このように実際の統計と説得力ある仮説を同時に提示されて、ぼくは、これはきっと本当にそうなのだろうと思いました。ぐっと、臨死体験については意見が科学寄りに傾いた。なにやらよくわからないあの世の存在を仮定しなくても、なぜ臨死体験が一定のパターンを見せるのかは、ほとんど全て説明できてしまうのです。ならば、そんな仮定を必要としない説のほうを取るのは、当然ですよね?」

→ 「帰ってくるの、と彼女は話しはじめた。帰ってくるの、なんだかすてきな人が。私が残業した日には先に帰っていて、おかえりって言う。私が前の家から持ってきたソファの上で私が買った本を読んでたりする。私それを見て、かっこいい人がいるなあって思う。となりに座ってもいいかしら、って思う。明日彼が帰ってこなくても、それはそれで当たり前のような気もする。でも帰ってくるの、あの人は毎日、なぜだか。 それってかなりすてきな生活だねと私は言う。彼女はうなずく」

→ 「新旧聖書や各種仏典、コーランなどにはなぜかライフハック的な記述がない。ここでいうライフハック的とは「そのためには、ちょっとこうすれば、ほらこんなにうまくできますよ」的なおばあちゃんの知恵袋的な記述のこと」