世界は称賛に値する

日記を書きます

火曜日の始まり

▼▼隣の家の芝生の青さを羨んでばかりではおそらく駄目なのだろうなー。ばかり、ってのが駄目要素の根源なので、羨むって行動自体はまあアリかな。けどねー、時間は誰でもおおむね限られているのだよなー。ぼけっとぼさっと「青くていいな」と羨んでいるのと同じ時間だけ、当然ながら手元は疎かになる。疎かになることによる難点っていろいろだけど、難点程度は見通せるだろうから、まああとは好きにするとよい。後悔せずに済みそうな匂いの選択肢を選ぶのが結構おすすめな気はしているよー。と胸中に向けて。
▼▼起床時刻は午前7時半。勤務は休み。最近は悪天候が続いている。雪混じりだ。

ほんとうに読ませてもらってよかったって毎日思っている幸せの記録をしたい次第。

→ 「早い話が「自分が生きていること」と「他人が生きていること」の接点がまるで見えなかったのが、自分からの主体的な「焼肉を食わす」という行動によって、一気につながったわけです」

→ 「で、ちょーでっかい帝国と共和国の間に挟まれているのでそこをはったりと少数精鋭で切り抜けていくところが三点目。まさに劉備軍といったところです。でかい風呂敷に、非暴力で戦争を終わらせるという重いテーマ。それでいてライトノベルっぽさをまったく失わない軽快なキャラクター同士のかけあいは、さすがだなあと思いました」

→ 「映像がどう他者と出会うのか、映画とはそういうものだと思います。見てる人になにをどう伝えたいのか・・・音のつけ方には、そのことが具体的に現れます。映像にとって最初に向き合う他者は音であると言い換えてもいいくらいです。したがって、音との向き合い方は、その映像が、映像の外の世界とどう向き合っているかを象徴している・・・わたしはそう考えています」

→ 「では単語ではない言葉を使うとか、主部と述部に分解できない文章にするとか、詩なら、そんなこともできるのだろうか? たぶん不可能だろう。われわれの言葉はそのようには出来ていない。 しかし、どのような事態であっても、とりあえず言語に置き換えれば伝えることができると感じられるのは、むしろ、言葉の数やその組み立て方が無限にあるわけではないからかもしれない。それに、そもそも単語が離散的であることも不可欠なのだろう」

→ 「自分は「個人を晒す、吊るし上げるなんてひどい!」という話に冷淡なところがあるのだが、これは俺がネットwatch出身だからとか性格が悪いからだけではなくて、その空気こそが「こんなやついてさあ」を「これだから◯◯は困る」に変質させているように思うからだ」

→ 「産業革命のすごいところは、生産性が上がったことではなく、大して人口が増えなかったことだ、という話がある」